Missouri(アイオワ級戦艦)



 ミズーリ (USS Missouri, BB-63) はアメリカ海軍の戦艦である。アイオワ級戦艦の3番艦。艦名はミズーリ州に因んで命名された。その名を持つ艦としては3隻目。 太平洋戦争での日本の降伏調印式場となる。当時の大統領トルーマンの出身州に因んで同艦が選定された。1999年からは、ハワイ州パールハーバーで記念艦として保存されている。

 「Mighty Mo」あるいは「Big Mo」の愛称で呼ばれたミズーリは1940年6月12日に建造発注され、ブルックリンのニューヨーク海軍工廠1941年1月6日に起工、1944年1月29日に メアリー・マーガレット・トルーマン(ミズーリ州選出上院議員ハリー・S・トルーマンの娘)によって命名、進水する。1944年6月11日にアメリカ海軍最後の戦艦として就役した。

 ミズーリは、1944年の就役以降、太平洋戦争において沖縄、硫黄島、室蘭などで数々の戦果を残した。 ミズーリに対して日本特攻機(爆装零戦)1機が低空飛行で右舷甲板に突入し、突入機の右翼は第3副砲塔上にぶつかり燃料に火が引火した。艦は表面に損傷を受けたが、速やかに鎮火した。 この攻撃の跡は現在も船体に残っている。

 大日本帝国の降伏文書調印式は9月2日に東京湾(浦賀水道内の城ヶ島と館山の間あたりの海域)に停泊するミズーリの甲板上で行われ、アメリカ合衆国、イギリス、フランス、オランダ、 中華民国、カナダ、ソビエト、オーストラリア、ニュージーランドが調印して日本の降伏を受け入れた。余談だが、09:25の調印式終了とともにグラマンの編隊とB-29が祝賀飛行を行ったが、 そのとき甲板ではカナダ代表が署名する欄を間違えたことによる4ヶ国代表の署名欄にずれが見つかり、正式文書として通用しないとして降伏文書の訂正がなされていた。

 1950年に北朝鮮軍が韓国に侵入、朝鮮戦争が勃発する。アメリカ合衆国は国連の名の下に戦争に介入、韓国軍支援のため朝鮮半島に軍を派遣した。ミズーリは大西洋艦隊から朝鮮半島の国連軍を 支援するため8月19日にノーフォークを出港した。1950年9月14日に九州西部で国連軍に合流、A・E・スミス少将の旗艦となる。翌9月15日、マッカーサー元帥は朝鮮戦争で最も有名な戦いといえる 仁川上陸作戦を行う。ミズーリは韓国水域に到着した最初のアメリカ軍戦艦として9月15日に三陟を砲撃、仁川上陸の支援を行った。ミズーリは重巡洋艦ヘレナ (USS Helena, CA-75) と2隻の 駆逐艦と共に砲撃を行い、第8軍の攻撃を支援した。これは第二次大戦以来、初の砲撃であった。

 1953年8月23日に不活性化処理のため西海岸へ向かう。9月15日にシアトルに到着し、3日後にピュージェット・サウンド海軍工廠に入り1955年2月26日に退役、ブレマートンの太平洋予備役艦隊 入りした。ブレマートンへ到着するとミズーリは予備役艦隊の最後の桟橋に係留された。この桟橋は最も陸地寄りで、ミズーリには1年あたり約180,000人の見学者が訪れ、人気のある観光名所と なった。人々は降伏文書調印式場としてのミズーリを見学し、艦のそばには民間の土産物店などが建ち並ぶようになった。ミズーリが再び現役任務に戻るまで30年近い年月が過ぎた。

 海軍長官ジョン・F・リーマンによる「600隻艦隊構想」達成の努力によりミズーリは1984年に再就役が決定し、1986年5月10日にサンフランシスコで再就役する。この際、ミズーリには最新鋭の 武器類が増設された。32発のBGM-109トマホーク・ミサイル、16発のハープーン・ミサイルが発射可能な箱形発射筒、敵の対艦ミサイルを迎撃する4基のファランクスCIWSなどが増設され、 最新の電子機器も搭載された。4ヶ月後にミズーリは、新たな母港のロングビーチから「自由のための強さ Strength for Freedom」のメッセージを携え8ヵ国を訪れる世界巡航に出航する。 ミズーリはオーストラリア、ディエゴガルシア島、エジプト、トルコ、イタリア、スペイン、ポルトガルおよびパナマを訪れ、80年前にセオドア・ルーズベルト大統領がグレート・ホワイト・ フリートで世界巡航を行わせて以来、初めての世界巡航を行った戦艦となる。 1987年には小口径砲の増設が行われ、ペルシャ湾でのクウェート石油タンカー護衛作戦、オペレーション・アーネスト・ウィルに参加する。7月25日にミズーリはインド洋とアラビア海での 6ヶ月間の任務に出港する。ミズーリはエコー戦闘グループの中心としてタンカー船団をホルムズ海峡で護衛し、火器管制システムはイランのシルクワーム・ミサイルへの注意を継続した。 1990年8月2日にイラク軍はクウェート侵攻を行う。同月中旬にジョージ・H・W・ブッシュ大統領はサウジアラビアおよびペルシャ湾に多国籍軍支援のため数十万に及ぶアメリカ軍の第一陣を 派遣する。ミズーリは9月に始める予定であった4ヶ月間の西太平洋巡航が直前に取り消され、中東情勢に対して動員態勢で置かれた。 1991年1月初めにペルシャ湾に到着し、ペルシャ湾では火災を起こした船を救援した。その後バーレーンに向かう。バーレーンでの短期間の停泊後に北方に向かい作戦活動に従事する。 1月17日、イラク領内に向けてトマホーク・ミサイルを発射し、湾岸戦争が始まる。世界中の国々が「クウェートの解放は始まった」という知らせに耳を傾けた。ミズーリはトマホークを発射し 続け、全部で28発をイラク領内に打ち込んだ。

 ミズーリは現役末期活動としてワシントン州シアトル、ブリティッシュコロンビア州バンクーバー、カリフォルニア州サンフランシスコの訪問を行う。その後艦は1991年の感謝祭の翌日、 最後の任務に出発する。「マイティ・モー」の最後の任務は太平洋を横断しハワイで真珠湾攻撃50周年記念式典に参加することであった。 1991年のソ連崩壊に伴いアメリカ合衆国に対する脅威は低下し、国防予算の徹底的な削減が行われることとなる。戦艦を運用する高額なコストは効果のない浪費と考えられた。ミズーリは1992年3月31日にロングビーチで退役する。

 現在普通に見学できるのは、最上甲板上のメインブリッジと士官室と後部甲板下の食堂付近のみである。そのほかの部分も見学できるツアーもあるが、別に申し込みが必要となる。 甲板上の構造物はトマホーク発射機を含めて自由に見学できる。

[同型艦]
・BB-61 Iowa
・BB-62 New Jersey
・BB-64 Wisconsin
艦 歴(Missouri)
起工
1941年1月6日
進水
1944年1月29日
就役
1944年6月11日
退役
1992年3月31日
現在
記念艦として公開
建造所
ニューヨーク海軍工廠
仕様・諸元(Missouri)
排水量 基準排水量:48,500 t
満載排水量:53,000 t
全長 270.4 m
全幅 32.98 m
喫水 11.58 m
機関 バブコック&ウィルコックス式重油専焼ボイラー8基
GE式またはウェスチングハウス式蒸気ギヤードタービン4基4軸
(212,000馬力)
最大速 33ノット
航続距離 15,000海里(15ノット航行時)
乗員 1,851 名
兵装(1944年) ・50口径40.6cm砲 × 9門
・38口径12.7cm砲 × 20門
・56口径40mm対空砲 × 80門
・70口径20mm対空砲 × 49門
兵装(1968年) ・50口径40.6cm砲 × 9門
・38口径12.7cm砲 × 20門
兵装(1983年) ・50口径40.6cm砲 × 9門
・38口径12.7cm砲 × 12門
・トマホーク巡航ミサイル × 32発
・ハープーン対艦ミサイル × 16発
・ファランクス20mmCIWS × 4基
装甲 ・舷側 307mm+22mm
・甲板 153mm
・主砲防盾 432mm
・司令塔 445mm