T−33(ロッキード社)



 T-33は、アメリカ合衆国のロッキード社が1943年に開発したP-80戦闘機を原型に製造した練習機である。愛称は原型のP-80同様、シューティングスター(Shooting Star:流星)。 開発開始から50年以上経過した、1990年代の日本においても使用されていた。

 P-80はアメリカ最初の実用ジェット戦闘機である。これ以降は訓練もジェット機で行わなければならなかったのだが、教官を乗せる複座の練習機は相変わらずレシプロの プロペラ機だけであった。パイロットは最初から一人でP-80に乗り込まなければならなかった。これでは熟練に時間がかかるため、新たなジェット練習機が必要とされた。

 T-33はP-80(のちのF-80)を複座型に改装したものであり、初飛行は1948年。胴体は後席を設けるため延長され、翼端のタンク(チップタンク)が戦闘機型と異なり、 標準装備となっている(地上での取り外しが可能)。 P-80Cからの改装であったため、当初はアメリカ空軍のみで使用され、TP-80CやTF-80Cの名称で呼ばれていたが、間もなくT-33の呼称が付けられた。アメリカ海軍でもTV-2の 名称で使用している。

 65,000機以上が1948年から1959年にかけて製造され、世界30ヶ国以上で使用された。そのうちの656機はカナダのカナディアでライセンス生産され、カナダ統合軍航空部隊 ではCT-133シルヴァー・スターの愛称で運用された他、ボリビア、ポルトガル、ギリシャ、トルコにも輸出・供与された。

 日本の航空自衛隊においては、1954年の創立当初からF-86Fと共にアメリカ軍によって68機が供与され、翌1955年からは川崎航空機によって210機がライセンス生産された (合計278機を運用)。しかし1999年11月22日の入間基地で墜落事故が発生。機体が入間川河川敷に墜落し、その際送電線を切断したために埼玉県南部及び東京都西部を 中心とする約80万世帯が停電、並びに信号機及び鉄道が停止する。この墜落事故で飛行停止処分が取られ、翌年に飛行停止処分を解かないまま強制引退となった。 航空自衛隊における後継機は同じく川崎のT-4である。本田技研工業も実験用に1機を購入し、HondaJet開発の際も試験に使用していた。
仕様・諸元
全長 11.2 m
全幅 11.5 m
全高 3.3 m
空虚重量 3,017 kg
発動機 アリソンJ33 遠心式ターボジェットエンジン(推力:2t)× 1
最高速度 828 km/h
航続距離 1,980 km(増槽使用)
武装(AT-33のみ) ・12.7mmブローニングM3機関銃(12.7mm重機関銃M2の航空機搭載型。弾丸350発)×2
・2,000lb(907kg)までの無誘導爆弾やナパーム弾、10発までの5inロケット弾などを主翼下2ヶ所のハードポイントに装備可能