SR−71(ロッキード社)



 SR-71はロッキード社・スカンクワークスが開発した超音速・高高度偵察機である。愛称はブラックバード。初飛行は1964年12月11日。 沖縄・嘉手納飛行場にも配備されたことがあり、その異様な形状から現地では「ハブ」と呼ばれていた。

 SR-71は1950年代に開発された偵察機A-12を改良したもの。U-2偵察機の後継として設計・開発された。U-2撃墜事件の反省を踏まえ、高高度かつ超音速でもってミサイル迎撃 そのものを回避する設計思想が採用されている。乗員は2名で、前席にパイロット、後席にRSO(偵察機器を操作する乗員)が座り、高空を飛行しながら地表の撮影を行う。

 SR-71は非常に特異な外見と設計をしており、超音速かつ高高度の飛行が可能であるが、飛行に際しては高度な技術と費用がかかる上、偵察衛星の技術が向上したために 一度は1989年に退役が決定、全機が退役した。 その後、湾岸戦争で偵察衛星のみでは十分に迅速な情報収集が可能ではなかったことへの反省や、北朝鮮核査察拒否問題が起こったことなどから、SR-71復活配備計画が持ち上がり、 1995年には3機のSR-71を復活配備するための予算が計上され、1996年には新SR-71部隊が編成、1997年には即応体制完了を発表した。しかし、1998年には当時のビル・クリントン 大統領によって拒否権が発動され、復活配備されたSR-71は実際には運用されることも計画通りの3機が揃うこともなく(配備が完了したのは2機)、再度退役している。 また、SR-71はNASAで試験機としても運用されていたが、これも1998年に退役している。

 ただし、引退したといっても一部の機体は未だモスボール状態で保管されているので、完全に復活の可能性がなくなったというわけではない。 この機体の名称は当初RS-71であったが(RSはReconnaissance Strike:偵察爆撃を意味する)、1964年に同機の存在を認める際、リンドン・B・ジョンソン大統領がSR-71と 誤って発表したため急遽名称をSR-71に変更する事態となった。SRはStrategic Reconnaissance(戦略偵察)を表すと後から定義された格好になる。 結局本機は爆撃機として使われる事なく、純粋な偵察機としてしか用いられなかったので、結果としてジョンソン大統領の失言は事実となった訳である。 ちなみに71の数字は、同じく偵察爆撃機として開発されたRS-70からの連番。RS-70は爆撃機B-70の仕様変更(偵察兼用に目的を改めた)である。

 SR-71は、3,529.56km/h(高度20,000m)の実用ジェット機の最高速度記録を持っている。これだけの速度になると、大気との摩擦や圧縮によって生じる熱で機体表面は 300℃以上の高温になるが、もともとこの機は高温下での熱膨張などを考慮して設計されている。黒色の全面塗装も放熱効果を高めるために 採用されている。しかしそのために、地上では熱膨張が発生しないので燃料が染み出すため、床には受け皿が置かれた。復活配備の際にはこの燃料漏れを防ぐのに技術者が 苦心したという。なお、燃料は通常のジェット燃料より発火点が高いJP-7を用いているため、始動時およびアフターバーナ点火時にはトリエチルボラン(TEB/Et3B)数十ccの 噴射を行う。空中給油機も専用燃料槽を持つKC-135Q、KC-135Tを用いていた。

 黒い塗料には鉄粉が混ぜられており、また、ブレンデッドウイングボディとダブルデルタを併用したそののっぺりとした外見は、レーダー電波を乱反射させる効果があるため、 意図した設計ではないものの、ある程度のステルス性を備えていた。そのため、後にアメリカ空軍が開発する事になるステルス機も、本機と似たデザインではないかと言われ、 「F-19」なる型番とともにその想像図が流布した。しかし実際に登場した「F-117」は、本機とは全く逆の直線的デザインの機体であり、電波を特定方向にのみ反射させるという、 SR-71とは全く逆の方式によるステルス機であった。
仕様・諸元(SR-71A)
全長 32.73 m
全幅 16.94 m
全高 5.63 m
空虚重量 29,484 kg
発動機 P&W社製 J-58(JT11D-20A)× 2
最高速度 3,529.56 km/h
航続距離 4,800 km