F−86(ノースアメリカン社)



 F-86はアメリカ合衆国の航空機メーカーノースアメリカン社が開発したジェット戦闘機で、愛称はセイバー(Saber)である。

 第二次世界大戦末期ノースアメリカン社は艦上ジェット戦闘機案NA-134をアメリカ海軍に提案していた。これを受けて、1945年1月1日、アメリカ海軍は艦上ジェット戦闘機 XFJ-1の開発を発注した。これは、P-51の主翼と尾翼をそのまま流用し、胴体のみジェットエンジン搭載の新設計のものに変えた機体である。この機体の開発を受けて、 アメリカ陸軍航空隊は1945年5月23日に、XFJ-1の陸上型XP-86の開発を発注した。 第二次世界大戦後、アメリカ合衆国はドイツ国内の占領地から大量の航空機の先進的実験データを得た。 このデータを基にノースアメリカン社は、開発中のXP-86の設計を変更し、P-51から流用した主翼・尾翼に代えて、新設計の後退翼を採用した。試作機XP-86の初飛行は 1947年10月1日。初飛行前から、性能が期待されたためにP-86A-1として陸軍航空隊に採用された。 この後、陸軍航空隊は陸軍から独立してアメリカ合衆国空軍となり、それに伴って使用する航空機の命名法が変更された。陸軍航空隊の戦闘機はPから始まる一連の番号 (Pursuiter―追撃機からとられた)が振られていたが、命名法の変更に伴い戦闘機にはF(Fighter―戦闘機からとられた)の文字を与えるように、1948年6月から変更された。 そのため、P-86AはF-86Aと呼ばれるようになった。

 主翼は低翼配置の後退翼であり、涙滴型のコックピットを持つ。ノーズ・インテイクであり、ノズルは機体末端に付けられている。機銃はインテイク周辺に集中装備と なっている。生産の途中で空力的に様々な改良を受けており、E型以降は全浮動式の水平尾翼を装備し、主翼についても境界制御型と前縁スラット型の2種がある。

 F-86が活躍したのが朝鮮戦争であった。国連軍が朝鮮戦争に参加した当初、金日成の朝鮮人民軍は本格的な航空兵力を持たず、米海軍の艦載機グラマンF9F パンサーや 米空軍のリパブリックF-84G、ロッキードF-80 シューティングスターなどの直線翼を有するジェット戦闘機、果てには第二次世界大戦中に活躍したF-51DやF-4U コルセアが 活躍出来る程であったが、中国の抗美援朝義勇軍が参戦すると、鴨緑江を越えて中国軍のMiG-15が飛来するようになり、直線翼のジェット戦闘機では抗しきれないと判断した 米空軍は急遽、F-86を投入し、朝鮮半島上空にて史上初の後退翼ジェット戦闘機同士の空中戦が繰り広げられた。結果、投入から休戦までの約二年間に損失78機に対し、 撃墜数約800機と言う、実に10対1の戦果を上げた(ソ連資料では損失の比が2対1にまで小さくなっている)。その後、その優秀性からF-86は世界各国で採用された。
仕様・諸元
全長 11.4 m
全幅 11.3 m
全高 4.5 m
空虚重量 6,300kg
発動機 ジェネラルエレクトリック社製 J47-27ターボジェット × 1(推力 2,680kg)
最高速度 1,100 km/h
航続距離 1,900 km
武装 ・12.7mm M2機銃 × 6
・爆弾最大900kg