F−8(チャンスボート社)



 F-8とはアメリカのチャンスボート社が開発し、アメリカ海軍とアメリカ海兵隊を中心にフランス海軍とフィリピン空軍で使用されたジェット艦載戦闘機である。 愛称はクルセイダー(Crusader;十字軍の戦士)。開発当初の機種名はF8Uであるが、1962年の機種名整理によりF-8となった。

 開発は1952年に米海軍が超音速制空戦闘機を要求したことから始まった。この要求に応じたチャンスボート社は数々の新機軸を盛り込んだ機体を開発した。 試作初号機XF8U-1は1955年3月25日初飛行および超音速飛行に成功し高性能を示したため、海軍に採用されることとなった。直ちに量産が開始され、生産型F8U-1は1955年9月に 初飛行している。艦上機としては世界初の超音速戦闘機である。

 F-8は当時の陸上機をも凌ぐ高性能を誇り、また極めて信頼性が高く、扱いやすかった。例えば同じエンジンを搭載する空軍のF-100戦闘機が最高速度マッハ1.3だったのに対し、 本機はマッハ1.7に達した。これはインテイクの上から前方に突き出したレーダードームが、偶然にもショックコーンの役目を果たし、エンジンの性能を最大限に引き出した事に よる。 特徴としては極めて視界に優れている事が挙げられる。コックピットは視界を確保するため胴体の先端に配置された。インテイクも機首下面にあり視界を妨げないように している。また離発艦の際に機体それ自体を傾けなくても主翼の迎え角を確保するために、高翼配置の主翼は上下に取り付け角を変更出来るようになっていた。 これは視界不良に悩まされたチャンスボート社の前作F7Uカットラスの反省があったためであるが、むしろ過剰な程だと評されている(またカットラスは飛行性能を追求し新機軸を 盛り込み過ぎ離着艦性能が極端に悪く、前述の視界の悪さとあいまって着艦時の事故が多発し、同様の問題を抱えた同輩機F3Hディーモンと共に「未亡人製造機」と称された)。

 1957年から部隊配備が開始され1965年までに各形式合わせて1,259機生産された。 のちに米海軍の空母機動部隊の運用方針が変化し、艦載戦闘機にも多用途性が求められるようになり、同時期に採用されたF11F タイガーはこの要求に対応出来ずに短命に 終わってしまったのと対照的に、F-8は一定の汎用性も兼ね備えていたため大量に生産された。

 部隊配備は1958年3月から開始され、その後、F-8はベトナム戦争に投入された。米海軍は他に最新のF-4 ファントムUを投入していたが、ミサイル万能論の影響で機関銃を 搭載せず空対空ミサイルのみに頼り、爆撃能力を重視し機動性をある程度犠牲にしていた。こうした中、軽快な運動性と4丁の20mm機関砲を搭載していたF-8は「最後のガン ファイター」と呼ばれ、多数のMiG-17等の敵機を撃墜し、一時期はF-4の撃墜数を上回ったこともあった。そのことから「ミグ・マスター」とも呼ばれた。 ベトナム戦争全体を通し、米空海軍海兵隊機種で最高のキルレシオ(撃墜対被撃墜比率)、 8:1を持つ。また撃墜数はF‐4の半分(18機)であったものの、作戦および空中戦への延べ参加機数は遥かに少なかったことを勘案すると、大変効果的に敵戦闘機を抑えたと 見ることができる。 ただし本機がF-4と共に60年代の米海軍の主力たり得たのは、本機がエセックス級航空母艦において運用可能(ファントムは運用不可能)であったからである。

 ベトナム戦争の終結後も長期間配備され、米海軍から最後の機体、偵察型のRF-8Gが退役したのは1987年であった。最後までF-8を第一線に配備し使用していたフランス海軍の クレマンソー級航空母艦に搭載されていた機体も、2000年に後継機のラファールと交代する形で退役した。
仕様・諸元
全長 16.61 m
全幅 10.72 m
全高 4.8 m
空虚重量 12,700 kg
発動機 P&W J57エンジン × 1
最高速度 M 1.6
航続距離 2,260 km
武装 ・20mm機銃(コルトMk.12)× 4
・空対空ミサイル4発またはズーニー・ロケット弾8発
・翼下2ヶ所のハードポイントに約2トンまでの爆弾、ロケット弾を装備可能。