F−14(グラマン社)



 F-14はF-4の後継機としてグラマン社が開発し米海軍に採用された艦上戦闘機である。仮想敵機はMiG-25と言われている。愛称はトムキャット(Tomcat)。 初飛行は1970年、部隊配備は1973年より進められた。 アメリカ海軍ではメンテナンスの容易さとコストの面から、同機よりも飛行能力で劣るF/A-18E/F戦闘攻撃機への機種転換が 進められ、最後に残った戦闘部隊 VF-31も2006年9月22日に解隊、アメリカ海軍の F-14 は全機完全退役した。

 1950年代、当時アメリカ海軍は対艦ミサイルを搭載した航空機へ対抗する戦闘部隊を模索していた。この要望に応えるべく1957年、 ベネディックス社はAAM-N-10イーグル空対空ミサイル(航行速度マッハ4、射程203km)の開発を、ダグラス社は戦闘機XF6D-1ミサイリアー(Missileer)の開発を行っていた。 F6Dは滞空時間約10時間でイーグル空対空ミサイルを搭載可能であったが、イーグルミサイルをのぞいて空対空火力に欠け、機動力も乏しかった事から廃案となった。 しかし、イーグルミサイルはその後改良されてAAM-N-11となり、後AIM-54フェニックスと改称されてF-14に採用された。またF6Dで採用されていた当時非常に進んだ火器管制 システム(AN/AWG-9)はプログラムから引き抜かれて生き残り、後にF-14で採用されることになる。 1961年、ジョン・F・ケネディの政権下で国防長官に就任したロバート・S・マクナマラは、当時海軍と空軍から要望されていた新型戦闘機を共通のプラットフォーム として開発する計画を立てた。この航空機はTFX(Tactical Fighter Experimental)と呼ばれたが、実際に空軍から出ていた要望は 戦闘機というよりも長距離爆撃機に近く、他方で海軍からの要望は長距離航行可能な上に至近距離での空中戦を想定した戦闘機であり、当初からその計画には無理があった。 1961年10月1日に入札各社は各案を提示。ゼネラル・ダイナミクス社が落札した。ゼネラル・ダイナミクス社はグラマン社と提携し、グラマン社はランディング・ギアと 本体後方部、および海軍向けのアレンジTFX-N(後F-111B)のデザインを担当した。グラマン社はかつてXF10F-1ジャガーの設計を行った経験があり、ジャガーそのものは 廃案となっていたものの、その可変翼の技術はF-111Bで採用された。海軍向けF-111のプロトタイプは1965年の5月に初飛行を行ったものの、重量過多、航行速度不足、加えて ランディングギアの位置が前方に偏り過ぎていたために艦上着陸の際の挙動が非常に不安定で危険となる事などから明らかに海軍の要望を満たしておらず、海軍からの強い 反対にあい採用は見送られた。

 しかし当時海軍で採用されていたF-4ファントムおよびF-8クルーセイダーは性能的に時代遅れとなりつつあり、ソビエト連邦の新型機などの脅威に対応不可能と考えられて いた事から、海軍はTFXプログラムからVFX(Carrier-based Fighter Experimental)プログラムを、F-111B不採用を決定してすぐに立ち上げた。 1967年10月に各社はこの要望に応札、グラマン社とマクドネル・ダグラス社が最終の2社として生き残った。この内グラマン社の案は管制システム、ミサイル、エンジンを F-111Bからそのまま転用したものだった。翌年マクドネル・ダグラス社はモデル225を、グラマン社はモデル303を提示。最終的にグラマン社が落札する事になった。 F-14は当初、F-111同様垂直尾翼が1枚だったが、海軍がそれに異議を唱え、垂直尾翼を2枚要求し、グラマン社は海軍の要求を呑み、結局垂直尾翼は2枚になり、1969年3月に 最終案が採択。開発を急ぎたい海軍とグラマン社は、通常の開発方法(試作機を作って性能評価を行い、その結果を踏まえて量産型を制式採用/発注)といった手順を踏まず、 まず12機の先行量産型を製造した。そして、先行量産型の各機に受け持ちの性能評価項目を振り分け、迅速に開発を行うこととした。当初初飛行は1971年1月を予定していたが 前倒しされ、1970年の12月21日にチーフ・テスト・パイロットのロバート・スマイズとプロジェクト・テスト・パイロットのウィリアム・ミラーによって敢行された。 この飛行は悪天候と視界不良のために短時間で切り上げられ、9日後に再度飛行テストが行われたが、着陸の際にランディングギアの油圧系統が故障。 予備のシステムも作動せず、試作機は墜落。幸いパイロットは寸での所で射出し、軽傷ですんだ(この時製作中の12号機を1X号機として試験に割り当てたため、 プロトタイプは都合13機)。

 この設計ミスはすぐに修正され1971年5月24日に2機目のプロトタイプが飛行を行った。この試験機は低速度での動作確認、可変翼、および銃器の動作確認に割り当てられた。 3機目は搭載重量を増やしての飛行、4、5、6機目はムグ岬の海軍基地でAWG-9/AIM-54の搭載、試験を行った。このうち5機目はスパローミサイルの発射試験で失敗し、 1973年6月20日に墜落している。7機目にはエンジンの換装が行われF401が採用された。8機目は生産ラインのデータ確認に使用され、9機目、11機目はレーダーとその他の システム確認に割り当てられた。11機目は地上の標的に対してバルカン砲での攻撃テストにも使用されている。10機目は海軍の試験センターで空母での発着を想定した試験に 使用された。 海軍による最初の飛行テストは1971年12月16日に行われ、大変な好評を博している。翌1972年の6月15日に最初のカタパルトを使用した発艦試験がUSSフォレスタル (Forrestal)で行われ、6月28日に初の着艦試験が同空母上で行われた。この10号機はのち着艦に失敗し、パイロットは死亡している。

 VF-84 ジョリーロジャースは1976年にF-4からF-14Aへと交代した。 空対空対戦能力に特化した設計のために対地攻撃付加などの柔軟性に欠け、搭載兵器もF-14Aは現在主流のスパローミサイルの後継中距離空対空ミサイルAIM-120AMRAAMに 未対応で(実弾発射試験には参加したが、F-14に残された短い寿命の中での運用は必要無いと判断された)、なおかつ制作費用およびメンテナンスなどにかかる諸費用は 群を抜いて高いことから各方面より強い非難を受け、民主党の上院議員ハートキーとビンガムから採用を非難するレポートが提出されるなどし、 結局当初配備予定だった722機のF-14は313機まで大幅に圧縮された。その後も非難は止まず、更なる圧縮が計画されたが、当時の海軍提督エルモ・R・ザムワルト・Jr によって擁護され、免れる事になった。

 F-14は艦隊防空戦闘機として使用するために能力も防空に特化したものとなっている。中でも一番の特徴としてAIM-54 フェニックス空対空ミサイルとそれを使用するための 強力なレーダーが挙げられる。乗員は2名であり、前席が操縦員、後席がレーダー員である。後席に操縦機構はついていないので後席からの操縦は出来ない。 レーダー員は操縦資格を持っている必要はなく、パイロットではない搭乗員が乗ることも多い。 主翼にエルロンはついておらずスポイラーが装備されており、水平尾翼の エレベーターがエルロンを兼ねる「エレボン」と併用となっている。

 AIM-54フェニックスはアクティブレーダーホーミング長距離空対空ミサイルで、射程は100kmを超える。このミサイルはソ連のスタンドオフミサイル Kh-22 及び発射母機である Tu-22/22M を空母機動艦隊のはるか遠方で迎撃する目的で開発され、現在までにアメリカ軍が使用する空対空ミサイルとして最も射程が長いものとなっていた。しかし、 このミサイルは大型であるため機動性が悪く、また高価でもあるため、実戦使用例は湾岸戦争時の1度きりで、この時は最大射程ギリギリで発射したため、命中には至っていない (イラン・イラク戦争で使用例があるといわれているが、戦果については諸説存在し、はっきりとしたことはわからない)。F-14はこのミサイルを最大で6発搭載することが可能で あるが、着艦時には重量の関係から6発全て装備したままでの着艦は事実上不可能であり、2発の空中投棄が必要となってしまう。しかし、フェニックスは前述のように高価なため、 無駄を出さないよう実際搭載する場合には4発までとなっている。なお、フェニックスは2004年9月30日にアメリカ海軍から引退した。

 また、フェニックスを6発搭載した超重量のF-14を着艦させる事が可能な空母が無かった事も、アメリカ政府が軍の反対を押し切りF/A-18E/Fへの代替へ踏み切った要因の一つである。

 F-14のレーダーAN/AWG-9は最大探知距離が200kmを超える画期的な高性能レーダーである。操作は後部座席のレーダー迎撃士官が行う。AN/AWG-9は最大で24目標を同時追尾、 そのうち6目標へAIM-54フェニックスを発射し同時攻撃する能力がある。ただし現在主流となっている中距離空対空ミサイルのAMRAAMに未対応で、短・中距離での交戦では 旧型のスパローを使用する必要がある。

 F-14の大きな特徴の一つとして可変翼が挙げられる。これは、飛行中に速度によって最適な後退角に主翼角度を変えられるようになっているもので、速度によって自動的に 角度が変更されるものと手動で変更させる2つのタイプがある。F-14では前者を採用し、後退角は飛行中は20〜68度の範囲で可動し、主脚に荷重がかかった場合(静止・格納状態) に限り75度まで後退させることが可能となっている。 なお、F-14は可変翼とは別に遷音速で主翼前縁のグローブベーンが展開するようになっていた。これは主翼の付け根付近の前縁に内蔵され、使用速度になると飛び出す小さな翼で ある。これが展開することにより揚力を増やし、機動性を高める目的であった。 しかし飛行特性にほとんど影響を与えないことがわかり、A型機の運用当時では封印され、 B型およびD型機では搭載ウェポンとの干渉をなくすために廃止されている。

 可変翼機は速度に応じて最適の揚抗比を得ることができる利点があるものの、翼下パイロンを含めた可動機構の複雑さや、可動部品、特にピボットの強度確保の必要性等の 面から、重量・工数など諸コストの上昇を招くため、現在では採用されない。 F-111ではスチール製ピボットでクラックが多発したため、F-14では強度を確保した上で重量を 抑えるためにチタンを真空中で電子ビームを用いて溶接するという当時では非常に高度な技術を採用した結果、素材と技術の両面で高コストを招いた。

 F-14AのTF30エンジンは開発当初からその問題が指摘されていた。そのためエンジンの換装案がいくつか挙がっており、最終的にエンジンをF110-GE-400に換装したF-14A+ (7号機がF-14Bを名乗っていた)が開発され、後にF-14Bと呼ばれるようになった。

 F-14Aはプラット&ホイットニー社製TF30-P-412を搭載している。このエンジンはF-111Bで採用されたTF30-P-12の改良型でF-111Dにも採用されているが、非常に大きな欠陥を 抱えている。出力は12,350lbで力不足な事に加えてインテーク付近での乱気流に異常なほど敏感で、簡単にコンプレッサーストールを起こす。このエンジンを採用した機体 (F-14以外も含む)は過去に40もの被害を出しており、その被害総額は10億ドルを越える。F-14のこのエンジンを採用したA型は当初最初の67機のみ製造し、後ゼネラル・ エレクトリック社製のF401-PW-400に換装したB型を400機製造予定であった。このF401-PW-400エンジンは安定している事に加えて高出力、低燃費であり、設計ベースはJTF-22で、 空軍が後に開発した高性能エンジンF-100とベースを共にしていた。しかし、このエンジンは開発中に技術的トラブルに合い、加えてコストに起因した 問題からF-14本体のプログラム自体が非難にあっていて、更に予算を追加しなければならなくなる為に道半ばでプロジェクトは消滅し、このF-14Bの製造は開発段階で頓挫 する事となった。ちなみにこのエンジンを積んだ2機目の試験機はほとんど完成していたが、プログラムの消滅に伴って試験飛行を行う前にエンジンをTF30へ戻されている。

 その後、1990年にはレーダーをAN/APG-71に換装したF-14D型が開発された。これは新規で製造されたものとF-14Aを改修したものの2つのタイプがあるが、前者はF-14Dと呼び、 後者はF-14D(R)と呼ばれる。B、Dとも最初は全てのA型を改修する予定だったが、冷戦終了で製造費が安価で運用も柔軟なF/A-18の導入が基本方針となり、改修も新造も大幅に 規模が縮小された。F-14B、F-14Dはスーパー・トムキャット (Super Tomcat) という非公式の愛称がつけられている。BおよびDはエンジンの排出ノズルの形状がAと異なるため、 外見から判別可能である。 なお、国は完成したF-14Dの方が性能が上であるにも関わらずコスト面からF-14Dの配備を認めず、安価で整備が容易とは言え性能の劣るF/A-18を主力配備する事には軍からとても 根強い反対があった。しかし国の予算の都合、フル装備の重いF-14が着艦可能な空母が無い、既にF/A-18が配備されていた等の都合から、結局F-14Dは新製37機、A型からの 改造18機の計55機にとどまった。

 1980年代後期から1990年代前半にかけて開発・導入が検討されていた、NATF(空軍のYF-22→F-22をベースにして、主翼をF-14と同じく可変翼とした海軍の発達型艦上戦術 戦闘機)や、A-6E艦上攻撃機の後継機として計画されたA-12ステルス艦上攻撃機が、最終的にキャンセルされたことを受けて、1990年代前半に、アフターバーナーの使用なしでの マッハ1の巡航飛行が可能なエンジンの搭載やステルス性の付加、さらには改良型電子装置の搭載や本格的な対地攻撃能力の追加などにより、21世紀にも通用する戦闘機として、 本機の発達改良型である「スーパートムキャット21」や「アタック・スーパートムキャット21」などが計画されたが、F/A-18の拡大改良型であるF/A-18E/Fスーパーホーネットが F-14の後継機として採用されたことにより、最終的に「スーパートムキャット21」などの開発はキャンセルされた。

 F-14は当初は搭載されたレーダーの能力などから空対空戦闘のみを考慮された戦闘機となっていたものの、航続距離が長いことや搭載能力に余裕があるなどの利点があった。 湾岸戦争でのA-6の損耗率の高さと、後継機として開発されていたA-12やその代価案であるA-6Fの開発が中止されたことにより、A-6引退とF/A-18E/Fスーパーホーネット配備までの つなぎとして、F-14の右主翼付け根のパイロンに、LANTIRNポッド(F-15EやF-16に搭載されているものにGPSとの連動機能を追加)を装備して対地攻撃 能力を付与させることにした。 これの改修によりポッド搭載のみでレーザー誘導爆弾などの使用が可能となった。 この対地攻撃能力が付与されたタイプのことをボムキャットと呼ぶこともある。

 また、F-14は偵察ポッド(TARPS)を装備し偵察任務にも使用されている。RF-8の退役後、アメリカ海軍では専用の戦術偵察機がなくF-14はそれの重要な一端を担っている。 90年代から始まった航空団と飛行隊のリストラではTARPSとLANTIRNを装備しない飛行隊から解体・機種転換されていったことから、これらのポッドによってF-14が延命できたとも いえる。 ちなみに、TARPSを装備した機体には「ピーピング・トム」の別称があり、カメラを構えたトムをデザインした専用パッチもある。

 F-14は、ベトナム戦争では実戦に現れたのが遅かったため、1975年のサイゴン撤退のための上空支援に使用された。 1981年の対リビア作戦で初の戦果をあげており、 空母ニミッツから発艦したF-14が地中海シドラ湾上空で2機のリビア空軍Su-22Mを、1989年1月にも同じく南地中海で2機のリビア空軍機MiG-23MLを撃墜している。 1983年のレバノンへの介入、および1986年4月のベンガジとトリポリへの侵攻を援護。作戦活動中に偵察を行った。 湾岸戦争では大きな空戦は行われなかったが、 イラク軍Mi-8ヘリコプターを撃墜している。一方でイラク軍の地対空ミサイルで撃墜されている。 1993年からバルカン上空で、戦闘空中哨戒(CAP)および偵察を実施、 1995年に初の爆撃を行った。コソボ紛争でもF-14が高速前線航空統制および爆撃を実施した。 2001年のアフガニスタン戦争では作戦の中心となり、前線航空統制(FAC)や、 燃料積載量が少なく奥地まで飛行できないF/A-18Cの代わりに、F-14が誘導爆弾などを投下し、多数の戦果を上げている。 2003年のイラク戦争でも、誘導爆弾などを投下し 戦果を上げた。

 F-14は非常に高価な機体であったため、アメリカ海軍以外にF-14を導入したのは王政時代のイラン空軍のみである。イランが購入したのは、一部の装備を外したF-14A仕様機 であった。 しかし、その後のイラン革命によりアメリカは引渡し前の機体の差し止めと部品供給の停止を行い、補修部品の調達が困難となったイランでは同機の運用は困難となった。 しかしながら、イラン・コントラ事件に絡んでイランの米国製機は稼動状態を保ち、F-14もイラン・イラク戦争で実戦使用された。 ロシアがAIM-54との引き換えで問題の多いF-14AのエンジンをSu-27用のものに交換する契約をしたとも伝えられたが、実際に実行されたのかは不明である。また、交換対象は AIM-54ではなくF-14本体であったという情報もある。少なくとも、ロシアからは戦力補強のためにMiG-29などが引き渡されている。また、イランのF-14はロシアや中華人民共 和国製の対艦ミサイルなどを搭載できるいわゆる「ボムキャット」仕様に改修されていると言われる。 なお、イランのF-14Aは引渡し以来長い間いわゆる「デザート迷彩」を施していたが、近年、同国空軍のMiG-29同様の砂色と水色による迷彩に塗り替えられた機体も増えている。 イランでは、F-14の後継と期待されたMiG-31やSu-27の購入が経済及び政治的な事情からできなかったため、現在でも貴重な防衛戦力として多数のF-14の維持に精力を注いでいる。 数十機がロシアの支援により稼動状態にあり、パレードなどでの上空フライトパス以外にも、ときおり一般公開もされている模様である。 日本の航空自衛隊でもかつて、F-14を導入しようと検討していた事もあったが、比較評価の結果F-15に軍配が上がった。
仕様・諸元(F-14A)
全長 19.1 m
全幅 ・主翼後退角75度:10.15 m
・主翼後退角20度:19.54 m
全高 4.88m
重量 18,190 kg
発動機 P&W TF30-P-412A又は414A ターボファンエンジン × 2
最高速度 M 2.34
航続距離 3,220 km
武装 ・M61A1バルカン砲 × 1
・AIM-54 フェニックス空対空ミサイル × 4 他サイドワインダー
仕様・諸元(F-14B/D)
全長 19.1 m
全幅 ・主翼後退角75度:10.15 m
・主翼後退角20度:19.54 m
全高 4.88m
重量 18,950 kg
発動機 ジェネラルエレクトリック F110-GE-400 ターボファンエンジン × 2
最高速度 M 2.34
航続距離 3,220 km
武装 ・M61A1バルカン砲 × 1
・AIM-54 フェニックス空対空ミサイル × 4 他サイドワインダー