F−111(ゼネラル・ダイナミクス社)



 F-111 アードバーク(F-111 Aardvark)はゼネラル・ダイナミクスが開発した攻撃機。または戦闘爆撃機に分類される。初飛行は1964年で、世界初の実用可変翼機として知られる。 現在では多くが退役し、運用している国はオーストラリアのみとなっている。なお、センチュリーシリーズに数えられることもある。 愛称はアードバーク(ツチブタ)だが、これはアメリカ空軍での退役直前までは非公式のものだった。

 アメリカ空軍は1958年にF-105の後継として使用する戦闘攻撃機を計画する。当初最高速度マッハ2以上のVTOL機を希望するが技術的に困難であるとして断念。 代わりに最高速度マッハ2.5以上の複座戦闘攻撃機を計画、検討の結果こちらは実現可能とされたため1960年10月に各メーカーに提案、12月にはTFX(Tactical Fighter Experimental)計画と命名された。対して同時期アメリカ海軍は長距離空対空ミサイルを装備する艦隊防空用の戦闘機(FADF:Fleet Air Defence Fighter)を計画していた。 この両計画に目をつけたマクナマラ国防長官はコスト削減のため計画の統合を命ずる。その命を受けた空海軍は共通部分についての検討を行うが空軍の要求は低空を音速で 駆け抜けることができる機体、海軍の要求は大型レーダーを装備する並列複座(前後ではなく左右に並ぶ複座)の機体で、結果共通部分は複座、アフターバーナー付ターボファン 双発、可変翼(VG翼)の3点のみで計画の統合は不可能と結論付けた。

 しかしマクナマラ長官は両軍からの同意を半ば無理やり取り付けて計画の統合を推し進め、1961年10月には新たに重量制限などを設けた要求を各メーカーに提案した。 これに対してボーイング、ゼネラル・ダイナミクス、ロッキード、マクダネル、ノースアメリカン、リパブリックの6社から設計案が提案され空海軍とNASAで検討の結果、 要求を満たさないまでもボーイング案とゼネラル・ダイナミクス案がこの中では優れているとし、再設計を行わせることとした。ちょうど同時期に正式名称が空軍型F-111A、 海軍型F-111Bと決定された。しかしその後2回の再設計を行うも要求を満たすものではないとされ、都合4回目の再設計を両社に命じた。4回目の設計案で空海軍ともに ボーイング案が優れていると判断し採用にむけた動きが出てきたが、国防総省はゼネラル・ダイナミクス案の採用を決定する。

 こうしてゼネラル・ダイナミクス案が採用され実際に製作されることとなったが空軍と海軍の異なる二つの要求を同時に満たそうとしたため機体重量は予定をはるかに 超えてしまった。一応海軍は後にテストを行うが既にこの時点で海軍は乗り気ではなく、1968年に予算が認められなかったことでF-111B計画はキャンセルされた。

 一方空軍型のF-111Aは1964年12月21日に初飛行を行うがフラップのトラブルのためテストは途中で打ち切られた。このトラブルは致命的な問題ではなかったためその後のテストは 予定通り続けられることとなり、2回目のテストではより高速域でのテストが行われたが、亜音速域でエンジンのコンプレッサーストールが発生した。当初エンジンに原因が あるものと思われエンジンの改修が行われたが、コンプレッサーストールは依然として発生。その後の調査の結果エアインテイクの形状に問題があることが判明し、ゼネラル・ ダイナミクスは急遽トリプル・プラウIと呼ばれるエアインテイクの改良型を開発、これによりF-111Aは音速を超えることに成功する。しかしこのエアインテイクでも高速域に おいてはコンプレッサーストールが発生したためトリプル・プラウIを使用する型にはマッハ2.2(計画値はマッハ2.5)の速度制限がつけられた。この制限は後にこれの 改良型であるトリプル・プラウUが開発されるまで続いた。

 その後1968年にはベトナム戦争で使用されたが1973年の撤退までに複数機の損失(ただし、戦闘での損失は敵対空火器による1機のみで、他は電子機器やエンジンのトラブルが 原因)を出し、1969年12月には急降下爆撃の訓練を行っていたF-111Aの主翼が引き起こしの際外れるという事故が発生。F-111は7ヶ月間の飛行禁止となりその間F-111の信頼を 取り戻すべく徹底した検査と改修が行われ、その結果F-111AはセンチュリーシリーズやF-4よりも高い安全性を得ることとなった。 F-111の基本性能は高く、戦術航空軍団(TAC)だけにはとどまらず戦略航空軍団(SAC)では戦略爆撃機として採用され、電子戦機型のEF-111Aも開発されるなどいくつかの

 派生型も作られ、アメリカ空軍では一時2015年ごろまでF-111を使用する予定であった。しかし結局維持費がかさむ為、通常攻撃型はF-15Eなどにその任務を譲り、 1996年に第27戦術戦闘航空団のF-111FがF-16C/Dと交代したことにより退役完了、EF-111Aは1998年に後継機を待たずしてアメリカ空軍から退役した。 2005年現在F-111を使用しているのはオーストラリア空軍のみである。

 F-111は実用機として初の可変翼、アフターバーナー付ターボファンエンジン、地形追従レーダーなど当時としては最新鋭の技術を多く取り入れている。そのため初期には 問題も多く発生し、失敗作とまで言われたが、その後の改修により優れた性能を発揮した。F-111の後継としてはF-15Eなどが採用されているが、大型の機体であるF-15Eも F-111に比べれば最大離陸重量で10t近く軽く、スペック上ではF-111ほどの能力は持ち合わせていない。 ただし、戦闘爆撃機を名乗りながらも、実際には対空戦闘能力はほとんど持ち合わせておらず(一応短射程の赤外線誘導空対空ミサイルと機関砲の運用・装備は可能ではあるが、 純粋な攻撃機であってもこの程度の自衛能力を持つ機体は存在する)、実質的には専用の攻撃機・爆撃機でしかないという事実も指摘されねばならない。 攻撃機・爆撃機としては非常に優れた機体であるが、やはり戦闘機としては失敗作であったと言わざるを得ない。

 F-111は、実用機として初の可変翼を採用している。これはCAS(コントロール増強システム)の導入によって可能になった。可変翼は主翼の後退角を変える事によって 飛行特性まで変わってしまうため、従来航空機においては、極めて操縦性に難があった。CASによってコンピューターによる補正を加える事により、安定した操縦を可能にしている。 F-111の主翼は16度〜72.5度(ただし前縁後退角)まで、速度に応じて任意に可動させることができる。主翼下には片側4箇所のハードポイント(パイロンを取り付けられる場所) があり、各種兵装の搭載が可能であるが外側2箇所ずつのハードポイントは主翼に固定されており後退角26度以上ではパイロン(翼と兵装をつなぐ部分)ごと切り離す必要があった ため実際には使用しづらかった。内側2つずつのハードポイントは後退角に応じてパイロンの角度が変化するようになっていたが、一番内側のハードポイントは後退角54度以上で 胴体と接触してしまうため後退角をそれ以上にする場合はやはりパイロンごと切り離す必要がある。つまりすべての角度において使用可能なハードポイントは内側から2つ目のみで あり実際に使用する場合もそこを中心に使用されていた。これらの理由から主翼後退角を可動させるレバーは26度と54度で一度止まるようになっている。 また後退角26度以上でフラップが使用できなくなり、45度以上でロール制御に使用するスポイラーの内側が、47度以上で外側がロックされ、それ以上ではロール制御は水平尾翼が 行うことになるため、これらの点を境に飛行性能が著しく変わる。しかし、ハードポイントの場合と違いレバーは止まらないため後退角45度以上にしたことにパイロットが 気づかず墜落しそうになったという事例がある。これは危険なユーザーインターフェースデザインの一例とされる。

 F-111の特徴の一つとして「モジュール式脱出装置」があげられる。コクピットをそのまま飛ばすモジュール式脱出装置は射出時に乗員が外気にさらされないため超音速時でも 安全に脱出することができ、着水した場合も水と直接触れないため低体温症から乗員を守ることができた。またサバイバルキットや食料を通常より多く搭載することもできたりと 利点は多かった。しかし座席のみを飛ばす場合に比べ全体の質量が大きいため落下速度を通常の射出座席と同レベルにするには通常より大型のパラシュートを使うなどする必要が あった。またパイロットの装備が改められる等の規程変更の度に改修を要したり、定期点検の度に分解整備が義務付けられ労力とコストを要したりなどデメリットも多かった。 一応、軽くて強いケブラー素材のパラシュートとエアバッグを装備し着地の衝撃をなるべく和らげるようにされていたが、それでも通常より着地の衝撃は大きく乗員が背骨の 圧迫骨折を起こす事態などが発生している。
仕様・諸元
全長 22.40 m
全幅 ・後退角16度:19.20 m
・後退角72.5度:9.74 m
全高 5.22 m
空虚重量 21,410 kg
発動機 P&W製 TF-30-P-100 × 2 A/B付きターボファン
最高速度 M 2.5
航続距離 約4,700 km
武装 ・M61A1バルカン × 1(2,084発)(必要に応じて)
・核兵器を含めた各種爆弾
・AIM-9サイドワインダー 他