F−101(マクダネル社)
F-101 ヴードゥー(Voodoo) は米国マクドネル社が開発した双発の超音速戦闘機である。初期設計では爆撃機の護衛用であったが、その後地上支援や写真偵察用にも転用された。
アメリカ空軍の他にカナダ空軍が広く採用した。
アメリカ空軍戦略空軍は1951年1月に長距離戦闘機の開発要求を各社に出した。マクドネル社は開発中止となった長距離戦闘機の試作機 XF-88(1948年10月20日初飛行)を大幅に 改良した案を提出し、それが受け入れられ、F-101の開発が開始された。なお、F-101の名称が付けられたのは1951年11月のことである。F-101Aは1954年9月29日に初飛行した。 低翼配置の後退翼で、テールに尾翼があるというのは、XF-88と同じであるが、胴体は3.2m延長され、尾翼面積も拡大している。水平尾翼の位置も垂直尾翼基部から垂直尾翼上部に 移されている。インテイクは主翼付け根にあり、ノズルは胴体後部(テールの付け根)にある。 初飛行の日に戦略空軍の長距離戦闘機計画は中止となったが、戦術空軍より戦闘爆撃機として、またF-102戦闘機の性能の低さに失望していた防空空軍より長距離要撃機として 関心が示されたため、開発は続行した。 防空空軍では完全自動要撃戦闘システムを採用した F-106に対し、本機をパイロットのマニュアル操縦を重視した要撃機として位置づけて いた。 F-89の後継機としてアラスカの部隊で主に使用された。広大な北極海をパトロールするには長い航続距離が必要で、また半自動式防空管制組織(SAGE)の十分な支援を受けられない 環境であったので、本機のような戦闘機がF-106とは別に必要であった(F-106があまりに高価過ぎた事も理由である)。要撃機型が全て複座なのも、よりパイロットの能力を 重視した結果である。 戦術空軍では戦闘爆撃機として当初採用されたが、後に開発された偵察機型のほうが好評で、ベトナム戦争前半の主力偵察機として消耗し尽くされた。 本機は登場した当初はマッハ1.7を誇り、当時の最高速の戦闘機であったが、程なくしてマッハ2級の戦闘機が続々と登場して、一見して速度性能では平凡な機体になってしまった。 ただ本機の最高速度がマッハ2に達しなかったのは、エアインテイクの形状が固定式であるためであり、J57エンジン双発のパワーは、決して後に登場したマッハ2級機に劣るものでは ない。 そもそも超音速機と言えども、そうそう超音速が出せるものではなく(アフターバーナーを使用する事によりたちまち燃料を消費してしまう)、マッハ2以上の最高速度に 大した意味がある訳ではない。 本機がマッハ1級でありながら、高速偵察機としてベトナム戦争で活躍した実績が、その事実を如実に物語っている。 80年代以降、戦闘機の 最高速度は頭打ちになり、むしろ低下していると言える状況であるが、本機はある意味その傾向を先取りしていたとも言える。 一方で、水平尾翼をT字配置として垂直尾翼の上に持ってきた設計は、大失敗であったと言える。迎え角を大きく取ると主翼の後流が水平尾翼の効果を無くし、急激な機体の 頭上げ(ピッチアップ)を生じる事となった。そのためピッチ・コントロール・システムが付加され、機体の運動を制限して対処している。 そのため高翼面荷重の設計と相まって、 本機の運動性能はあまりよくない。要撃機や偵察機としてはともかく、本来の開発目的であった戦略空軍の長距離戦闘機(爆撃機護衛、あるいは爆撃機の安全のための敵国上空の 制空権確保が任務であり、格闘戦能力は必須である)には全く向いていなかったと言える。 最後までF-101を使用したのはカナダ空軍であり、1985年には全機が退役した。 |
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仕様・諸元 |
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全長 | 20.55 m |
全幅 | 12.09 m |
全高 | 5.49 m |
空虚重量 | 12,925 kg |
発動機 | P&W J57-P-55 アフターバーナー付ターボジェット × 2 |
最高速度 | 1,825 km/h |
航続距離 | 2,450 km |
武装 | ・20 mm機関銃 × 4(A型) ・AIM-4 ファルコン 空対空ミサイル × 4 or 8 ・AIR-2 ジニー 空対空核ロケット × 1 |