F−100(ノースアメリカン社)



 F-100 スーパーセイバーはアメリカ合衆国のノースアメリカン社で開発された世界初の実用超音速機である。

 F-100は、アメリカ空軍で1954年から1971年まで使われたジェット戦闘機である。機首にインテイクを持つ機体であり、主翼は低翼配置・後退翼である。 愛称からもわかる通りF-86 セイバーの後継機として開発され、アメリカ戦闘機として初めて水平飛行で音速を超えることのできる戦闘機であった。 しかしながら、制空戦闘機であるF-86の後継機というよりは、むしろ戦闘爆撃機であるF-84 サンダージェット/サンダーストリークの後継機として、方向転換していった。

 アメリカ合衆国では、超音速迎撃機の開発は1949年2月に開始された。1951年11月にアメリカ空軍とノースアメリカン社との間で試作機2機・量産機203機の製造契約が結ばれた。 最初のYF-100A試作機は1953年5月25日J57ジェットエンジンを装着して初飛行し、音速を突破した。1953年10月29日にYF-100Aは速度の世界記録 1,215 km/hを作った。 量産型F-100Aは1953年後半に軍に引き渡され、1954年9月から運用を開始した。当時、MiG-19の存在を認識していなかったアメリカ合衆国では、F-100は世界で最も高性能の 戦闘機であると思われていた。しかし、ロール中に事故が発生することが相次ぎ、1954年11月から1955年2月まで飛行停止措置を行い、垂直尾翼の面積を大きくする改修が 行われた。 皮肉な事にその間にマッハ2級の戦闘機が次々と登場する事となり、本機の性能は陳腐化してしまった。

 F-100Aに続いてF-100C(1955年初飛行)と翼面積などを増加させた複座の戦闘爆撃機型F-100D(1956年)が製造された。 F-100Dはベトナム戦争で最初は戦闘爆撃機として北爆に使用された。すぐ後にF-105が登場すると爆撃任務を譲る事となったが、F-105がMiG-17に撃墜され戦闘機失格とされる 事件が起きたため、護衛戦闘機として使用された。だが結局F-100がMiG-17撃墜の成果を残せなかったのに対し、F-105は果敢にMiG-17に挑んで撃墜記録を残した。 F-4が登場するに至って北爆から外されるが、南ベトナムにおいての近接航空支援任務に回され、1971年まで使用された。 なお、1956年から1968年までアメリカ空軍の曲技飛行隊・サンダーバーズでも使用された。

 アメリカ合衆国以外では、トルコ、フランス、デンマーク、台湾で使用された。また、日本の航空自衛隊向けにレーダーを搭載する迎撃戦闘機型のF-100Jも開発されたが、 政治的理由もあり、ロッキード社のF-104Jが採用されたため生産はされなかった。なお、トルコのF-100C/D/FはF-4EやF-104G、F-102A、RF-84Fなどとともにキプロスを 巡るギリシアとの戦争に投入されて対地攻撃に大きな力を発揮しているが、一方、1974年7月21日にはギリシア海軍のフレッチャー級駆逐艦の40mm機銃による対空砲火で 一度に4機が撃墜されるなど損害も小さくはなかった。同国においてF-100は1990年代後半まで使用されていた。

 余談であるが、ノースアメリカン社では発展型のYF-107も試作されたが、採用にはいたらなかった。
仕様・諸元
全長 15.2 m
全幅 11.8 m
全高 4.9 m
空虚重量 9,530 kg
発動機 P&W J57ターボジェットエンジン × 1
最高速度 M 1.3
航続距離 2,500 km(増槽×2、空輸時)
武装 ・20mm機関砲 × 4(弾数各200)
・翼下に454 kg通常爆弾 × 6、プルバップAAM × 4、サイドワインダーAAM × 2など最大3,400 kgまでの兵装を搭載可能