B−2(ノースロップ・グラマン社)



 B-2は冷戦時代にノースロップ・グラマン社が極秘に開発し、アメリカ空軍に制式採用されたステルス戦略爆撃機。ATB(先進技術爆撃機)という計画名は知られていたものの、 1988年4月に想像図が公表されるまではその実態は機密のままであった。水平尾翼および垂直尾翼がない全翼機と言う特徴的な形をしており、愛称はスピリット。なお、 この機は非常に高価で少数しか生産されていないため、1機ごとに「Spirit of New York」という風に「Spirit of+州の名前」のパーソナルネームがついている (ただしSpirit of AmericaとSpirit of KittyHawkを除く)。乗員は2名。

 B-2の開発はステルス性や長い航続距離などの要求の元に1978年から開始され、ソビエトの防空網をかいくぐってICBM発射基地や移動式ICBM発射台に短距離攻撃ミサイルで 核攻撃を加えることが主目的であった。開発初期は極秘プロジェクト(Project Senior C. J.、後にATB: Advanced Technology Bomberと改名)として当初アメリカ空軍 上層部ですら開発は機密扱いであり、ほとんどのものはB-52の後継機としてB-1Bを念頭に置いていた。B-2の開発はノースロップ・グラマン社とボーイング社が共同で行い、 ボーイング社がコックピット部と本体の中央部、残りをすべてノースロップ・グラマン社が担当した。1982年に6機のプロトタイプ用の予算が組まれ、1988年11月22日に最初の 機体82-1066がパームデールのアメリカ空軍第42プラントからロールアウトされた。セレモニーは非常に慎重に計画され、招待された500名のゲストは地上からはB-2の正面のみ 閲覧が可能であったが、上空からの規制は手が抜かれていて小型セスナ機により上空から撮影された写真が残っている。初飛行は当初1990年7月15日に予定されていたが (予算編成時は1987年の予定だった)燃料系のトラブルのため延期され、最終的には7月17日にエドワーズ空軍基地にて行われた。

 以前から研究・開発されていた『空飛ぶ翼(flying wing)』を大きく踏襲し、表面はレーダー波を吸収して微量の熱に変換するグラファイト/エポキシ複合剤 (RAM: Radar Absorbent Material)で覆われ、本体内部には非公表ながらレーダー波を吸収するハニカム構造が大量に採用されているとされる。搭載されたゼネラル・ エレクトリックF118-GE-110ターボファンエンジンはノイズを極小化するために本体内部に深く埋め込まれていて、赤外線による探知を避けるために排出口は本体上面に 取り付けられ、2つに分けられたインテーク(通常のエンジンへのインテークと、そのやや前部に刻まれたジグザグ状の切れ目)から取り入れられた冷気を排出前に排気に 混ぜ合わせて温度を下げた上、意図的に長く作られた排出口以降の翼上部に熱吸収材でできたタイルを並べていて、排気温度を更に下げる工夫がなされている。

 他に飛行機雲を作らないために塩化フッ化スルホン酸を排気に混入させるようになっている。F-117と同じくステルス性を最重要視した形と なっているが、F-117が直線的なシルエットだったのに対してB-2は曲線的なシルエットとなっている。これはF-117開発時のコンピューターの計算能力が低く、曲面の シミュレーションが難しかったためにデザインが極端に簡素化された一方で、B-2開発時にはクレイ社のスーパーコンピューターを使用可能であったためで、結果、B-2は F-117よりレーダー波のエネルギーを直接反射せずに他の方向へ受け流すための理想に近いデザインが採用可能となっている。この理想の形状を環境変化などから保護するために 本体表面には無数の小さな孔があけられており、本体内で発生した水蒸気などを外部へ逃して変形を防ぐ設計がなされている。またB-2は目標探索用のAN/APQ-181J- バンドフェーズドアレイレーダーを装備しており、アンテナは逆探知されにくいようステルス性の高い誘電体で覆われている。ただし常時レーダーを使用すると発見される 恐れがあるため使用は地上の標的近辺の小さな領域に絞られ、照射は爆撃直前のみに限定されている。このレーダーは開発時はC-135に搭載されテストが行われていた。

 コックピットには4台の多機能カラーディスプレイが設置され、マクドネル・ダグラス社製ACES-II上方射出シートを採用している。パイロットは左座席に、WSO (Weapon System Officer:飛行補助および兵器管理担当員)は右座席に搭乗する。これら通常の搭乗員2名の他に3人目の搭乗用スペースも設けられている。 兵器管理システムにはIBMフェデラルシステムズのAN/APR-50(ZSR-63)およびZSR-62ディフェンス補助システムの搭載が予定されている。 RCS(Radar Cross Section)が極小化されているとはいえ、至近距離では高出力レーダーには映ってしまうため、さすがに目標物の真上まで航行して爆撃を行う事は不可能な 場合が多い。しかし搭載のコンピューターにより最も効率的でなおかつ発見されない航路を探索でき、加えて250-5000lbsのJDAM(Joint Direct Attack Munition)と言われる 衛星航行のいわゆるスマート・ボムにより、標的からの半径8マイル以内に到達できさえすればピンポイントで目標を破壊可能である。この爆弾は通常の爆弾に可動フィンと GPS受信機、コンピューターを取り付けたものであり、B-2上に搭載されたSBRA(Smart Bomb Rack Assembly)上で再プログラム可能で、天候やターゲットの変更などに応じて 臨機応変に対応できる。B-2には通常16の2000lbs爆弾が搭載される。他にもAGM158巡航ミサイルや5000lbsバンカーバスターを搭載できる。

 B-2は非常に高価な機であり 1 機 20 億ドル以上と言う値段でこれは世界一値段が高い飛行機としてギネスブックにも 登録されている。開発当初は130機あまりの製造が予定されたが、あまりにも高額で維持費も馬鹿にならず、また冷戦も終結したため必要性が薄れ、結局試作機を含む全 21 機 しか作られず、そのミッションも通常戦対応へと重点をシフトさせている。量産されればコストが下がることも考えられるが、同機はハイテクを駆使した特別機であるために 友好国への供与は想定していない。 なお、維持費は殆どがその滑らかな機体を研くためのものである。

 B-2の初実戦は1999年のコソボ紛争である。初飛行から10年も経ってからの実戦であるが、それまで実戦経験が無かった理由として以下が挙げられている。

・あまりに高価であるり、また鹵獲され秘密が漏れることを恐れ、軍部が出撃させるのをためらっていた。

・当初、爆撃機に搭載できる精密誘導爆弾が無かった。必然的に爆撃は絨毯爆撃などの無差別爆撃となってしまうことから、一般市民を巻き込む可能性が高い爆撃機の出動は控えられた(これはB-52などほかの爆撃機も同様である)。

・冷戦が終結したため、本格的な空爆を伴う軍事作戦が無かった。
仕様・諸元
全長 21.03 m
全幅 52.43 m
全高 5.18 m
空虚重量 約45 t
発動機 GE社F-118-GE-100ターボファンエンジン × 4
最高速度 M 0.8
航続距離 約12,000 km
武装 ・2000lb爆弾×16発
・500lb爆弾×80発
・B61戦術核兵器×16発