A−5(ノースアメリカン社)
A-5は、アメリカ海軍が1960年代から1970年代に運用した攻撃機および偵察機である。愛称はヴィジランティ(Vigilante)。製造はノースアメリカン社。先進的なデザインを
持った高速艦上機であった。
1955年に、アメリカ海軍は大型艦上核攻撃機A-3の後継機の提案を各社に要求した。これに対し、ノースアメリカン社はNA-233案を提案し採用された。 1956年9月17日にYA3J-1として、試作機3機の製造契約が結ばれた。1958年8月31日に初飛行している。 核爆弾を搭載する艦上攻撃機であり、高速力で敵防空網を突破するというコンセプトから、多くの先進的なデザインが取り入れられている。双発ジェットエンジンを 搭載しており、サイドインテイクで尾部に排気口を持つ。インテイクは当時としては先進的な二次元可変インテイクである。主翼は高翼配置であり、水平・垂直尾翼は 全浮動式となっている。主翼下のハードポイントに増槽を装備できたが、高速力発揮のために、戦闘時は機体内タンクのみを使用し、増槽は用いなかった。 なお、ハードポイントには、通常爆弾のほか、ブルパップミサイルも搭載できた。乗員は2名であり、操縦手と爆撃兼航法手である。 最も特徴的なものは、核爆弾搭載方法であり、胴体内のリニアトンネルに収容された。リニアトンネルにおいては、核爆弾と燃料タンクを連結したものが搭載されている。 爆弾投下時はテイルコーンを切り離し、リニアトンネル内から核爆弾と燃料タンクが連結したものを後方に引き出し、投下を行う。タンクには安定フィンが取り付けられており、 投下コースの安定を確保する。爆弾を機内搭載することにより高速力を得るためと、高速のまま投下するために考案されたシステムであったが、燃料タンクの脱落など トラブルも多く、トンネル内に装備できる武装も限られるなど汎用性も低かった。なお、トンネル内の燃料タンクをホースなどの空中給油システムに変更し、空中給油機として 運用することもできた。 1957年には、前量産型A3Jが発注され、1960年からは量産型A3J-1が発注された。1961年には訓練部隊の第3重攻撃飛行隊(VAH-3)から配備が開始されている。 なお、1962年9月にはA-5Aに名称が変更されている。 1962年8月から実戦配備されたものの、2個飛行隊(VAH-1,VAH-7)にしか配備されず、実働任務としては母艦航空隊として数回地中海へ派遣されたのみである。また、1964年には 実戦部隊への配備が終了し、1967年にはRA-5も含めて、核攻撃任務から外されている。これは、ソビエトの防空体制の評価により、航空機の進入が困難と判断されたことと、 潜水艦発射弾道ミサイルの実用化により、海軍の戦略的核攻撃能力を航空機から潜水艦にシフトすることとなったためである。 高速化のために軽量化されたため機体強度が脆弱であり、リニアトンネルなど核爆弾投下に特化した設計が災いして武装の汎用性がないが、最大速度がマッハ2以上と高速で あることから、攻撃任務からは外されたものの、偵察機として引き続き使用されることとなった。 1962年から偵察機型RA-5の発注が開始された。新造機、改修機とも最終的にはRA-5Cとなっている。A-5Aと比較し、胴体上面にも燃料タンクとなる大型ハンプパックがつけられた。 胴体下面には、カヌー型フェアリングがつけられ、偵察用カメラ(可視光・赤外線)や側方レーダーなどが搭載された。なお、運用当初のRA-5Cは核爆弾も搭載可能であったが、 本機が核攻撃任務から解放された後および偵察任務実施時は、爆弾搭載箇所には燃料タンクが装備された。 RA-5Cは1963年に第5重攻撃飛行隊(1964年以降は第5偵察重攻撃飛行隊(RVAH-5)に改称)から部隊配備が開始された。1964年からはベトナム戦争に投入され、南シナ海に 展開する空母機動部隊から北ベトナム上空へ出撃している。高速力を生かした偵察を行ったものの、損害も大きく18機が撃墜されている。1979年11月に全機退役した。 |
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仕様・諸元 |
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全長 | 23.32 m |
全幅 | 16.15 m |
全高 | 5.92 m |
空虚重量 | 17,000 kg |
発動機 | J79-GE-2 ターボジェットエンジン(推力 6,680kg)× 2 |
最高速度 | 2,125 km/h |
航続距離 | 2,908 km |
武装 | ・固定武装なし ・胴体内トンネルにB27 または B43核爆弾 × 1 ・翼下に各種攻撃兵装を搭載可能 |