アドミラル・クズネツォフ



 アドミラル・クズネツォフ(ロシア語:Адмирал Кузнецов)は、旧ソ連・ロシア海軍のプロイェークト(プロジェクト)1143.5「重航空巡洋艦」である。 正式な艦名はアドミラール・フロータ・ソヴェーツコヴォ・ソユーザ・クズネツォーフ:「ソ連海軍元帥クズネツォーフ」の意)で、1939年から1955年まで海軍総司令官を務めた ニコラーイ・ゲラースィモヴィチ・クズネツォーフソ連邦海軍元帥に由来する。

 現在ロシア海軍が保有している唯一の航空母艦の位置付けにある艦であり、米海軍以外の国の中では最大の航空母艦である。 本艦は1936年締結されたボスポラス海峡・ダーダネルス海峡の航空母艦通過禁止に関するモントルー条約に対しての政治的処置として、ロシア海軍における艦種分類は「航空母艦」ではなく 「重航空巡洋艦」となっている。

 プロイェークト1143.5として1982年9月1日(文書上は1983年2月22日)にニコラーエフ市黒海造船所(第444造船所)で起工。1985年12月5日進水。1989年より黒海で各種海上テストを開始。 1990年12月25日就役。むろん建造中より本艦の存在は西側軍事関係者の注目するところであり、当初は原子力空母であると見られていたが、実際には通常動力艦であった。 設計を担当したのは、ソ連の一連の航空機搭載艦を手掛けたネフスキー計画設計局である。

 本型は、計画時に「ピャチョールカ」というニックネームで呼ばれることもあった。これは基本的には「5番目の」という意味だが、この他、5段階評価の「5」という意味でも使われる。 プロイェークト1143の「5番目」という意味と、キエフ級よりも「優等な」という意味でそう呼ばれていたものと推測される。

 本艦は何度も艦名を変えている事でも有名である。本艦の名前の推移は、当時のソ連邦の国内事情を色濃く反映したものとなっている。 起工時の予定名は「リーガ」(後に独立したラトヴィアの首都)であったが、その後、「リェオニート・ブリェージュニェフ」(レオニード・ブレジネフ)に改名された。 さらに彼の権威が失墜したのを受け、進水時には「トビリースィ」(のち独立したグルジアの首都)に改名された。 なお、西側では当初「クレムリン」のコード名で呼ばれていた。 そして就役直前の1990年10月4日、ソ連国防相(1991年8月のクーデターにも参加したドミトリー・ヤゾフ元帥)命により、現在の名前「アドミラール・フロータ・ソヴィェーツカヴァ・ ソユーザ・クズニェツォーフ」となった(この名称は、もともとは当時建造中のキーロフ級重原子力ミサイル巡洋艦5番艦の名前として用意されていたものだったが、同艦は10月4日付けで 建造中止が決定され、宙に浮いた名前が「元トビリシ」の重航空巡洋艦に「流用」されたようだ)。

 本艦は、今のところ「ロシア海軍唯一の空母」である。場合によっては「ロシア海軍が保有した最初で最後の本格的空母」などと言われる事もある。就役時期がソ連邦崩壊と重なった事もあり 、就役から十年ほどは「忍耐の時期」であったと言える。特にひどかったのが1990年代後半であり、この時期はまったく整備も保守もされずに放置されており、ほとんどまともに動ける状態では なかった。本艦を建造したニコラーエフ造船所がウクライナに接収された事で、クズネツォフは整備や修理が出来なくなり、近いうちに行動不能になるだろうという見方も有ったが、北方艦隊 根拠地セーヴェロモルスクの近郊のロスリャコヴォ町にある第82船舶修理工場には、本艦が入渠可能な超大型浮きドックPD-50が存在し、ここで整備と修理を行った。21世紀に入ってから本格的な 修理が行われ、復帰した本艦は、今後もロシア海軍のフラッグシップ的存在として2030年頃まで運用される。
艦 歴
発注    
起工 1983年2月22日
進水 1985年12月5日
就役 1990年12月25日
退役
母港    
仕様・諸元
排水量 基準排水量:55,000 t
満載排水量:67,000 t
全長 304.5 m
全幅 72 m
喫水 11 m
機関 ボイラー8基 / 蒸気タービン4基,4軸
最大速 29 ノット
航続距離    
乗員 固有要員 1,980名(うち士官520名)
航空要員 626名
司令部要員 40名
兵装 ・P-700「グラニート」対艦巡航ミサイル × 12セル
・3K95「キンジャール」対空ミサイル × 192セル
・コールチク近接防御システム × 8基
・AK-630 30mmガトリング砲 × 6基
・ウダフ1 (RBU-12000) 対潜ロケット10連装発射機 × 2基
艦載機 48 機(Su-33艦上戦闘機20機、Su-25UTG艦上練習機4機、Ka-27PL対潜ヘリ18機、Ka-27PS捜索・救難ヘリ4機、Ka-31早期警戒ヘリ2機)
愛称