Tu−22M(ツポレフ設計局)

 Tu-22M(Ту-22Мトゥー・ドヴァーッツァヂ・ドヴァー・エーム(NATOコードネーム:ファックファイヤー(Backfire)))は、冷戦時代にソ連のツポレフ設計局で 設計・製造された中距離爆撃機である。ソ連では、「ミサイル爆撃機」に分類された。Tu-22を元に開発され、超音速、可変翼、長航続距離を特徴とする。 ロシア連邦により現在も運用されている。

 先行して開発・運用されていたTu-22は、特に成功した機体とは言えず、高価な割にはいくつかの点でTu-16より劣っていた。特に航続距離、離陸時滑走距離が 弱点となった。ちょうどTu-22が運用開始された時に、ツポレフ設計局は改善研究・設計を開始した。 ミグ設計局のMiG-23や、スホーイ設計局のSu-17と同様、幾何学的な形状の可変翼は魅力ある長所を持つと考えられていた。すなわち、短い離陸時滑走距離、 効果的な航続性、高速性、低空飛行性能である。Tu-22にこれらの長所を取り入れ、失敗したTu-98からいくつかの特徴を取り入れて、航空機145(サモリョート145)と 呼ばれる可変翼の試作機が試作された。

 初期のTu-22M0は9機のみ製造され、続いてさらに9機のTu-22M1量産先行試作機が1971年と1972年に製造された。これらはNATOコードネームでは「バックファイア -A」とされた。
最初の量産版は、1972年から製造に入ったTu-22M2(NATOコードネーム:バックファイアB)である。主翼を延長し、広範囲にわたり再設計が行われ、4名の搭乗員の 空間を確保するため胴体断面積を拡大した。エンジンにはNK-22が2基使われ、F-4ファントムIIのようなインテーク(空気取り入れ口)が取り付けられた。 着陸装置も一新された。共通の武装として、長射程巡航ミサイルや対艦ミサイル、標準的にはAS-4キッチン対艦ミサイルを搭載した。 いくつかのTu-22M2は、後により強力なエンジンNK-23に換装され、Tu-22M2Yeとされた。Tu-22M2は、Tu-22より人気があり、優れた性能と改良されたコクピットを 持っていたものの、快適性と信頼性に不満があった。運用上、Tu-22M2は乗員に「ドヴォーイカ」というニックネームで呼ばれていたことが知られている。

 1976年に初飛行し1983年から運用に入ったTu-22M3(NATOコードネーム:バックファイアC)は、新しくより強力なNK-25エンジンを搭載した。最高速度の向上に あわせてMiG-25に似たくさび形の空気取り入れ口を採用し、可変翼の可動幅が広くなり、ノーズハウジング(先頭部分)を大型化した上で、レーニネツ PN-ADレーダーとNK-45航法・射撃統制システムを搭載した。これらの改良の結果、非常に改善された低高度飛行ができるようになった。 2門搭載されていた尾部の砲は1門となり、砲塔の形が改善され、Kh-15短距離攻撃ミサイルを搭載するために、機体内部に回転式のランチャーを設置するための 準備工事がなされた。 Tu-22M3のうち少数が、Tu-22M3(R)またはTu-22MRとして、ショームポル側方監視レーダーとELINT(電子情報収集)装備を取り付けられた。 また、1986年には電子戦専用の派生形Tu-22MPが計画されたが、これは2-3機のプロトタイプが作られたに過ぎない。 派生形を含む製造の総数は、およそ500機であった。
仕様・諸元(Tu-22M3)
全長 39.60 m
全高 11.05m
空虚重量 54,000kg
発動機 NK-25 ターボファン、245kN ×2
最高速度 M2.05
航続距離 ・戦闘行動半径:2,880km
・輸送行動半径:6,800km
武装 ・GSh-23連装機関砲(リモートコントロール式尾部砲塔に装備)1基
・主翼・胴体パイロンおよび、投下式兵器用の内部爆弾倉(12,000kg)
・ラードゥガ Kh-22ミサイル×1発(爆弾倉)(ただし他のすべての武装を排除)または、ラードゥガ Kh-15短距離核ミサイル×6発(爆弾倉+ロータリーランチャー)、加えて2発のKh-15またはKh-27(主翼パイロン)