Su−15(スホーイ設計局)



 Su-15(Су-15スー・ピトナーッツァチ(NATOコードネーム:フラゴン(Flagon)「大壜」の意))は、ソ連の双発超音速迎撃戦闘機である。

 1960年代にSu-9及びSu-11の後継機として開発され、ソ連の防空軍で使用された。1983年の大韓航空007便をミサイルで打ち落とした機体として 知られている。

 初飛行は、1966年3月6日にノヴォシビールスクで行われ、総生産機数は1,500機以上と見られる。高度な防空用機器を搭載したため東側同盟国への 供与は行われなかった。ソ連崩壊後はロシア、ベラルーシ、ウクライナで運用されたが、冷戦の終結に伴う軍縮(欧州通常戦力制限交渉など)や 運用国内の経済的混乱のため、ロシアでは1993年までに全機が退役、他の国でも同時期に全機が退役した。

 Su-15自体は輸出されなかったものの、中華人民共和国ではこれらを参考に自国版MiG-21である殲撃七型の発展型として 双発の殲撃八型が開発された。これはSu-15の初期型のエンジン(MiG-21と同型のもの)を国産化したエンジンを双発で搭載する大型戦闘機であったが、 中国はソ連以上にレーダーシステムの開発に難渋し、初期のJ-8Iは遥かに小型で単発のJ-7と同じような機首とレーダー装備しか搭載することができず、 明らかに能力不足であった。Su-9がSu-15へ発展したようにJ-8Iも大型のレーダー用スペースを持つJ-8IIに発展したが、J-8IIが登場するまでには あまりに多くの時間を要してしまった。J-8IIとSu-15はしばしば比較される機体であるが、機体構成は全面的にSu-15初期型を真似したものと 評価されている。また、空気取り入れ口の形態などから、Su-15やMiG-23同様アメリカ合衆国のF-4ファントムIIなども参考にされたと見られている。 J-8IIは完成が遅れたばかりに登場とともに旧式機と呼ばれた不運な機体であったが、その後ロシアと中国の国家関係が改善されたことで ロシアから先進的なエンジンや電子機器が提供されたことにより、1990年代の最も優れた戦闘機のひとつとして数えられるMiG-29M並みの性能を持つと されるJ-8IIDなどに発展した。とはいえ、J-8IIDはSu-15TMやJ-7Eのような主翼形状の変更もなされておらず、また機体設計の古さは明らかであること から、空中格闘戦力等を含めた総合力ではMiG-29M並みの性能とは言えないのではないかと推測される。なお、J-8は米軍情報収集機との接触事件で 最もよく知られるところとなった機体である。
仕様・諸元(Su-15TM)
全長 22.03 m
全幅 9.43 m
全高 4.84 m
空虚重量 10,760kg
発動機 R-13-300×2
最高速度 2,230km/h
航続距離 1,380km
武装 ・固定武装なし
・R-98×2、R-60×2
・UPK-23-250 23mm 機関砲コンテナ×2(各250発)