CF−100 カナック(アブロ・カナダ)



 第二次世界大戦後、ソ連が「鉄のカーテン」の陰で推し進めた軍事航空技術の進歩は、北極海を挟んでソ連と背中合わせのカナダにとっても大きな脅威となっていた。 1946年10月、カナダ国防空軍は悪天候時でも威力を存分に発揮できる長距離全天候迎撃ジェット戦闘機を自力で開発することを決め、開発担当メーカーにはアブロ・カナダ社を選定し、 搭載エンジンには、同社のオレンダ事業部が開発中だった「オレンダ」エンジンが採用されることとなった。

 試作初号機は1950年1月19日にマルトンのアブロ・カナダ本社工場で初飛行し、次いで完成した試作2号機とともに飛行試験が実施された。テストが進むにつれ、飛行特性は予期 された通り上々で、最大速度もマッハ0.91を記録するなど好調だった。カナダ国防空軍はこの結果を踏まえ、早速量産機の生産に移行させることとし、1949年5月にCF-100 Mk.2を 10機発注した。Mk.2は、主にカナダ初の国産ジェット・エンジン「オレンダ2」の実用テストに使用され、その試験結果が最初の実用戦闘機型のCF-100 Mk.3に生かされることになった。 Mk.3は機首にAPG-33レーダーを搭載し、レドームの形状がやや尖ったMk.2に比べて丸みを持ったものとなった。

 固定武装はないが、胴体下に12.7mm機銃8門とその弾薬を収納する半埋め込め式パックを取り付けられるようになっていた。

 1952年9月から引き渡しが開始され、第445飛行隊を始めとして第423、第425飛行隊にも配備されたが、生産は1年足らずで70機が生産された時点で中止された。 代わって火器管制機能を強化し、自動索敵と自動迎撃が可能なヒューズAPG-40レーダーを搭載するCF-100 Mk.4へ生産が移行された。 Mk.4は、敵機を後方から攻撃するだけでなく、予め敵機の速度や進路を計算し、その前方の優位な位置から敵機へ攻撃できるようになっていた。 Mk.4では、それまで胴体下部に半埋め込め式に装備していた武装パックを改め、強力なマイティマウス・ロケット弾ポッドあるいは30mm機関砲4門を装備できるように改修された。

 カナダ国防空軍の防空任務は、CF-100の他にライセンス生産のCL-44セイバーが担当していたが、セイバーが全機NATO軍配下に置かれて西ドイツに送られたため、CF-100だけが カナダ本土防空任務に就いていた。1950年代後半にはNATO軍強化のため、CF-100もヨーロッパへ派遣されることとなり、1956年11月に第445飛行隊のCF-100 Mk.4がフランスに派遣され、 第423、第440、第419飛行隊もヨーロッパに派遣された。

 CF-100は、カナダ国防空軍だけでなくその迎撃能力が買われて、ベルギー空軍に53機が輸出されている。カナダ国防空軍では後継機となるF-101BブードゥーやCF-104スターファイター が配備されるにつれ、次第に第一線から姿を消していき、1960年代に入り全機が退役した。
仕様・諸元
全長 16.5 m
全幅 16.3 m
全高 4.73 m
空虚重量 11,057 kg
発動機 アブロ・カナダ製オレンダ11ターボジェット・エンジン × 2基
最高速度 1,044 km/h
推力 33.3 kN
最大離陸重量 16,080 kg
武装 ・12.7mm機銃 × 8
・ロケット弾ポッド等