利根(利根型重巡洋艦)



 利根は、大日本帝国海軍の重巡洋艦で、利根型重巡洋艦の1番艦である。 艦名は二等巡洋艦の命名慣例に従い、関東地方を流れる利根川にちなんで名づけられた。 艦前部に主砲塔4基を集中し後部を飛行機発進甲板・水上偵察機待機所とした、 第二次世界大戦当時としては珍しい艦型である。

 重巡洋艦であるにもかかわらず河川名が付けられた理由は最上型重巡洋艦(当初は軽巡洋艦であり、改装後も書類上は二等巡洋艦)5番艦として計画されたためである。 後に再設計により重巡洋艦(書類上は二等巡洋艦)となるが、 艦名はそのまま使用された。

 最初の計画では、最上型と同じ15.5cm砲を装備するいわゆる条約型として1930年(昭和5年)12月1日に起工した。 諸外国に通知した時の数値は、基準排水量8,636トン、水線全長187.21mである。 しかし友鶴事件や第四艦隊事件の教訓に よって計画を変更し、20.3cm主砲2連装4基8門を艦首に集中配置することによって艦尾を空け、水上偵察機搭載能力を増した独特のシルエットを持つ1万t級の重巡洋艦として就役した。 艦橋が中央部にあるため、舵を取る時の感度は抜群で 操艦しやすい艦だったと伝えられている。 伊吹型重巡洋艦伊吹が未完成に終わったため、利根と筑摩は日本海軍が完成させた最後の重巡洋艦となった。

 菱重工業長崎造船所にて建造され、竣工後は姉妹艦筑摩と共に第八戦隊を編成し第二艦隊に所属していたが、偵察能力を買われ第一航空艦隊に編入された。 搭載する偵察機は、空母の攻撃隊に先立って目的地を偵察する役割があった。  建造時の航空機定数は、三座水偵2機、二座水偵4機だった。 利根と姉妹艦筑摩は第八戦隊を編成し、当初横須賀鎮守府、続いて1939年10月には舞鶴鎮守府を母港とした。 高松宮宣仁親王が砲術長として着任する予定だったが、親王急病のため 実現していない。 1940年9月17日、呉を出撃して21日、海南島三亜港に到着した。 翌日、IC作戦が発動され、利根は重巡洋艦鳥海、第二航空戦隊(空母:蒼龍、飛龍)、第一駆逐隊、第四駆逐隊、舞鶴第一特別陸戦隊、神川丸と共に北部仏印 進駐の支援を行った。 利根は船団護衛、上空哨戒任務に従事し、この任務が利根と筑摩最初の作戦行動となった。 9月29日に帰還命令が下り、任務を終えた利根は日本に戻った。

 1940年12月、航空機定数が三座水偵(零式水上偵察機)1機、二座水偵(九五式水上偵察機)3機に変更。 1941年(昭和16年)4月10日、第八戦隊司令官として宇垣纏少将が着任、8月1日まで同戦隊司令官を務める。 わずか3ヶ月間の勤務で あったが、『餘が最も眞劍に且最も愉快に指揮統率せし戦隊』であり、2隻が真珠湾攻撃から帰還した際には『よくぞ偉勲を奏して目出度帰着せる子供の凱旋を迎ふる親心なるべし』と喜んでいる。 10月25日、第八戦隊(利根、筑摩)は 第一特別行動部隊に編入され、第一航空艦隊と行動を共にすることになった。 11月3日、有明湾に集合すると、司令官や艦長は南雲忠一中将が座乗する旗艦・空母赤城で頻繁に打ち合わせをおこなっている。 11月10〜13日、 呉軍港で燃料補給、弾薬補給を行い、搭乗員は太平洋全域の地図を受け取った。11月26日、利根は「南雲機動部隊」の1艦として太平洋に出撃。

 日本時間1941年12月8日午前1時、利根1号機(零式水上偵察機)が本艦を発進し、淵田美津雄総飛行隊長率いる空襲部隊より一足先に真珠湾へ向かった。 姉妹艦の筑摩からも索敵機が発進しており、利根機と筑摩機は第一次攻撃隊より1時間前に ハワイ上空に潜入し気象や湾内の状況を報告。 午前1時30分、空母6隻より攻撃隊183機が発進、午前2時、利根2号機が所在不明の米空母を捜索し、午前5時30分に帰投した。 利根は日本への帰路についたが、ウェーク島では島を守る少数の アメリカ軍の海兵隊によって上陸作戦を決行した日本軍第四艦隊(第六水雷戦隊)が撃退された。 ウェーク島第一次攻略作戦の失敗により南雲機動部隊に支援命令があり、利根と筑摩は第二航空戦隊(空母:蒼龍、飛龍)、駆逐艦谷風、浦風と 共にウェーク島へ向かった。 12月21日から始まったウェーク島第二次攻略作戦では、利根と筑摩の水偵が周辺索敵と対潜哨戒のため発進する。 23日、日本軍はウェーク島の占領に成功。 任務を終えた利根は12月29日、呉に入港した。

 1942年1月9日、利根は南太平洋における日本軍の作戦拠点を獲得すべく、南雲機動部隊(赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴)に随伴して日本を出撃した。 1月15日トラック入港、17日に出港してラバウルへ向かう。 1月23日、利根の水上偵察機部隊が ブーゲンビル島北方のブカ島を爆撃。 1月24〜25日には、第八戦隊(利根、筑摩)と軽巡洋艦阿武隈が南雲機動部隊より分離し、水偵隊がアドミラルティ諸島を爆撃する。 利根はビスマルク諸島攻略の終了によって、1月27日トラック泊地に 戻った。 2月1日、マーシャル諸島に空母2隻を含むアメリカ軍機動部隊出現の報告を受けて出撃するが会敵せず、南雲機動部隊は南洋艦隊に編入されて蘭印作戦の支援に向かった。 2月8日、パラオ泊地に到着し、第四戦隊(重巡洋艦:愛宕 、 高雄、摩耶、鳥海)、第三航空戦隊(鳳翔、瑞鳳)と合流する。 2月15日、パラオを出港して南下し、オーストラリアへ向かう。 2月21日、利根はセレベス島スターリング湾に入港。 2月25日、スターリング湾を出港し、 クリスマス島近海で行動する。 3月26日、セイロン島攻撃命令を受けてスターリング湾を出港し、オンバイ海峡を通過してインド洋に進出、スンバ島南方を西進した。 4月、イギリス軍東洋艦隊の進出にともなってセイロン沖海戦が発生し、 南雲機動部隊は大きな戦果をあげた。 4月5日午後1時、利根から発進した九四式水上偵察機がイギリスの重巡洋艦ドーセットシャー、コーンウォールを発見。 午後2時55分、零式水上偵察機(利根1号機)がイギリス軍重巡洋艦を再発見し、 艦爆隊を誘導した。 4月9日、南雲機動部隊はイギリスの空母ハーミーズを撃沈するなどの戦果をあげたが、利根と赤城はウェリントン爆撃機の奇襲を受けている。 利根は南方作戦の終了にともなって日本本土に戻った。

 1942年6月、利根はミッドウェー海戦に参加する。 その後、ソロモン諸島方面で第二次ソロモン海戦や南太平洋海戦に参加した。 1943年はトラックを基地としてマーシャル諸島やカロリン諸島で活動。 10月16日、機関室タービンに故障が 見つかり、第八戦隊旗艦を筑摩に移した。 トラック泊地で応急修理をおこなったものの、10月28日に再調査したところ別の機械にも破損を発見した。 ここに至り前線での修理は不可能と判断され、第十一水雷戦隊指揮のもと、10月31日に 日本・呉工廠へ向け出発した。 航空戦艦伊勢、戦艦山城、空母隼鷹、雲鷹、軽巡洋艦龍田、第二四駆逐隊(海風、涼風)、谷風、第七駆逐隊(曙)が利根と艦隊を組んだ。 しかし11月5日、隼鷹が日本近海で米潜水艦ハリバットの雷撃で艦尾に 被雷、直進不能となった。 このため、利根は隼鷹を曳航し11月6日呉に到着した。 利根の修理は12月14日に完了した。

 1944年6月マリアナ沖海戦に参加、10月には捷一号作戦に参加。 10月22日ブルネイを出港する。 24日シブヤン海海戦で空襲により命中弾を受けた。 翌日サマール沖海戦に参加し、408発の主砲弾を発射、うち7発を敵艦に命中させた。  レイテ沖海戦後、栗田艦隊はブルネイに退避していた。 利根は輸送任務のためマニラへ向かう空母隼鷹、軽巡木曾、護衛駆逐艦(夕月、卯月)と合流、11月10日マニラで木曾(11月13日沈没)と駆逐艦時雨を入れ替え、内地へむかった。  11月15日、隼鷹隊は米潜水艦バーブに雷撃されたが、命中しなかった。 舞鶴に帰還して損傷箇所の修理と機銃の増設を行い、呉に回航。 1945年3月19日、利根は海軍兵学校練習艦として呉にて停泊中アメリカ第58任務部隊による空襲を 受けて損傷、海軍兵学校と江田島湾を挟んでちょうど対岸にあたる能美島の海岸付近に移動する。 7月24日、第38任務部隊によって再度空襲を受け損傷した(呉軍港空襲)。 7月28日にも再度空襲を受け、アメリカ軍艦載機の空襲により 爆弾6発を受けた。対岸の海軍兵学校などからも応援を呼んでダメージコントロールに努めたが、その甲斐も無く翌日になって大破着底し終戦を迎えた。

[同型艦]
・利根
・筑摩

艦 歴
起工 1934年12月1日
進水 1937年11月21日
就役 1938年11月20日
喪失(沈没) 1945年7月28日
大破着底、戦後解体
除籍 1945年11月20日
建造所 三菱重工業長崎造船所
仕様・諸元
  竣工時 1945年
排水量 基準排水量:11,213 t 公試排水量:13,320 t
全長 201.6 m
全幅 19.4 m
喫水(公試) 6.23 m
機関 ロ号艦本式缶8基
艦本式タービン4基4軸
  (152,189馬力)
最大速 35.55ノット
航続距離 9,240海里(18ノット航行時)
乗員 869 名
兵装 ・20.3cm連装砲4基 8門
・40口径12.7cm連装高角砲4基 8門
・25mm連装機銃6基 12挺
・13mm連装機銃2基 4挺
・61cm3連装魚雷発射管4基 12門
・20.3cm連装砲4基 8門
・40口径12.7cm連装高角砲4基 8門
・25mm三連装機銃14基 42挺
・25mm連装機銃2基 4挺
・25mm単装機銃 21挺
・61cm3連装魚雷発射管4基 12門
装甲 ・舷側 145mm
・甲板 35mm
艦載機 水上機6機 (カタパルト2基)