高雄(高雄型重巡洋艦)



 高雄(たかお)は、旧日本海軍の重巡洋艦。高雄型の1番艦である。横須賀海軍工廠にて起工。艦名は京都府の高雄山に因んで命名された。

 高雄は1930年5月12日に進水。進水式には香淳皇后が臨席し、式典の模様はラジオで実況された。就役後は第2艦隊第4戦隊に所属する。

 1933年8月26日には横浜沖で行われた特別大演習での観艦式に、昭和天皇が乗艦する戦艦「比叡」の供奉艦として参列した。1937年の日中戦争開始後には 上海上陸作戦等を支援し、その後旅順から華北方面で活動する。

 1938年には近代化改修に入り、翌1939年に工事が完了している。

 1941年の太平洋戦争開戦時の艦長は朝倉豊次大佐。近藤信竹中将麾下の第4戦隊に所属し、フィリピン、ルソン島のリンガエン湾上陸作戦の支援にあたる。

 1942年の初頭はジャワ海で作戦に従事し、3月1日「高雄」の水偵がオランダ商船Engganoを爆撃。翌2日夜「高雄」と「愛宕」は米駆逐艦「ピルズバリー」(DD-227)を撃沈。 3月4日「高雄」「愛宕」「摩耶」と第4駆逐隊の駆逐艦2隻、「嵐」と「野分」はチラチャップ近くで船団を攻撃、タンカーFrancol、depot ship Anking、掃海艇1隻を 沈めオランダの貨物船2隻を捕獲し護衛のオーストラリアのスループYarraも撃沈した。
 5月末から6月にかけてアリューシャン作戦に参加。8月にはカ号作戦に参加、8月24日第二次ソロモン海戦、10月26日南太平洋海戦参加。11月15日第三次ソロモン海戦に参加。

 1943年2月、ガダルカナル島からの撤退を支援。その後艦長は猪口敏平大佐にかわり、トラックを拠点に中部太平洋で活動した。1943年11月5日、ラバウルに進出したが そこで米空母機による攻撃を受ける。「高雄」は命中弾2発を受け戦死者23名を出した。「高雄」は横須賀に戻り修理を行った。

 1944年10月22日、栗田健男中将指揮の第一遊撃部隊に属しレイテ湾に向けてブルネイを出撃した。10月23日、パラワン島沖を航行中6時34分、「高雄」に 米潜水艦「ダーター」(SS-227)の放った魚雷2本が命中した。「高雄」は大破し、ダーターの追撃を受けたが海軍機の援護によってダーターは座礁して自沈し、 駆逐艦「長波」「朝霜」水雷艇「鵯」に護衛され無事ブルネイに後退することができた。

 1945年7月31日、シンガポールのセレター港でイアン・エドワード・フレーザー大尉率いるイギリス小型潜水艇「XE3」と、同行した潜水隊員ジェームズ・ジョセフ・ マグニスによって仕掛けられたリムペットマイン(吸着式時限機雷)が第三砲塔右舷艦底で爆発し、大破、終戦時は行動不能状態であった。艦尾が切断されていたとする話も ある(写真等が無く未確認)。

 戦後はイギリスに引渡され、10月29日にイギリス海軍によってマラッカ海峡に牽引され、巡洋艦「ニューファンドランド」(C59)の砲撃により海没処分となった。

[同型艦]
・愛宕
・摩耶
・鳥海


艦 歴
起工 1927年4月28日
進水 1930年5月12日
就役 1932年5月31日
喪失(沈没) 1946年10月29日
除籍 1947年5月3日
建造所 横須賀海軍工廠
仕様・諸元
  竣工時 改装後
排水量 基準排水量:11,350 t 基準排水量:13,400 t
全長 203.76 m
全幅 19.00 m 20.73 m
喫水 6.11 m 6.32 m
機関 ロ号艦本式缶12基 艦本式タービン4基4軸
(130,000馬力)
最大速 35.5 ノット 34ノット
航続距離 8,000海里(14ノット航行時) 5,000海里(18ノット航行時)
乗員 727 名 835 名
兵装 ・50口径20.3cm連装砲 × 5基
・45口径12cm単装高角砲 × 4門
・40mm単装機銃 × 2挺
・61cm連装魚雷発射管 × 4基8門
(九〇式魚雷16本)
・50口径20.3cm連装砲 × 5基
・89式12.7cm連装高角砲 × 4基
・25mm連装機銃 × 4基
・13mm連装機銃 × 2基
・92式61cm4連装魚雷発射管 × 4基
(九三式魚雷24本)
装甲 ・舷側 127mm
・水平 34-46mm
・砲塔 25mm
艦載機 水上偵察機 × 3機(カタパルト2基)