鈴谷(最上型重巡洋艦)
鈴谷(すずや)は、日本海軍の重巡洋艦である。 最上型重巡洋艦(二等巡洋艦最上型)の3番艦。 その艦名は、樺太の鈴谷川から取って名付けられた。 日本海軍の軍艦としては、
通報艦(防護巡洋艦)鈴谷(旧ロシア帝国軍艦ノーヴッック)に続いて二代目。 15.5cm砲搭載の二等巡洋艦(軽巡洋艦)として建造され、後に主砲を20cm砲に換装し重巡洋艦となった。
日本海軍の書類上の分類は、戦没まで二等巡洋艦(軽巡洋艦)だった。
日本海軍は艦齢を重ねた旧式艦の代艦を建造することになり、軽巡の場合は最初に4隻(龍田、天龍、球磨、多摩)を以下4隻(最上、鈴谷、三隈、熊野)と置換することとした。 第四艦隊事件により最上型の船体強度に問題があることが判明したため、船体線図が改正された。 そのため1番艦(最上)、2番艦(三隈)とは船体形状に違いがあり、鈴谷型(鈴谷・熊野)と分類されることもあるが、 日本海軍の書類上の分類は4隻とも二等巡洋艦最上型である。 また、ボイラーは初期2艦(最上、三隈)の重油専焼罐大型8基小型2基・計10基から、重油専焼罐大型8基に変更されている。 そのため、第3砲塔と艦橋構造物との間の大型吸気トランクがなく、一番煙突の太さもボイラー減少の分だけ径が細くなっている。 未成に終わった次級伊吹型(伊吹)も、マストの位置変更や一部兵装変更以外は、ほぼ同型のまま起工された。 1933年(昭和8年)8月1日に鈴谷と命名。 同日附で二等巡洋艦最上型に類別。 1934年(昭和9年)11月20日午後3時、昭和天皇臨席の元で進水。 昭和天皇の進水式臨席は、妙高型重巡洋艦1番艦妙高 (横須賀海軍工廠建造、昭和2年4月16日)に続いて二度目。 また天皇が行幸した最後の進水式となった。 1937年(昭和12年)12月1日附で沢本頼雄少将(海軍艦政本部総務部長)は第七戦隊司令官に補職。 第七戦隊は、最上型巡洋艦4隻(最上、三隈、鈴谷、熊野)からなる新鋭戦隊となる。 1941年(昭和16年)12月8日の太平洋戦争勃発後、バタビア沖海戦、第三次ソロモン開戦を経てレイテ沖海戦に至る。 10月中旬、捷一号作戦に於いて第七戦隊(司令官白石万隆中将:熊野〔旗艦〕、鈴谷、筑摩、利根)は、第一遊撃部隊(第二艦隊/通称栗田艦隊、司令長官栗田健男中将/旗艦愛宕)第二部隊(司令官鈴木義尾中将、 旗艦金剛)に所属してアメリカ軍と交戦する。 だが10月25日の戦闘で、第七戦隊は本艦を含む重巡2隻(鈴谷、筑摩)を喪失した。 残る重巡2隻(熊野、利根)も大破。 一連の海戦に投入された日本海軍の重巡洋艦は 壊滅状態となった。 鈴谷の沈没原因は、空襲による至近弾で艦内に搭載していた酸素魚雷が誘爆したことだった。 12月20日、鈴谷は帝国軍艦籍から除籍された。 [同型艦] ・最上 ・三隈 ・熊野 |
艦 歴 |
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起工 | 1933年12月11日 | ||
進水 | 1934年11月20日 | ||
就役 | 1937年10月31日 | ||
1944年10月25日 | |||
除籍 | 1944年12月20日 | ||
建造所 | 横須賀海軍工廠 | ||
仕様・諸元 |
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排水量 | 基準排水量:12,000 t 公試:13,887 t |
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全長 | 200.6 m | ← | |
全幅 | 20.2 m | ← | |
喫水 | 5.9 m | ← | |
機関 | ロ号艦本式缶8基 艦本式タービン4基4軸 (154,000馬力) |
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最大速 | 35.5 ノット | − | |
航続距離 | 8,032海里(14ノット航行時) | − | |
乗員 | 874 名 | − | |
兵装 | ・60口径15.5cm3連装砲 × 5基 ・40口径12.7cm連装高角砲 × 4基 ・25mm連装機銃 × 4基 ・13mm連装機銃 × 2基 ・61cm3連装魚雷発射管 × 4基 |
・50口径20.3cm連装砲 × 5基 ・40口径12.7cm連装高角砲 × 4基 ・25mm連装機銃 × 4基 ・13mm連装機銃 × 2基 ・61cm3連装魚雷発射管 × 4基 |
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装甲 | ・舷側 100mm ・弾薬庫 140mm ・甲板 35〜60mm |
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艦載機 | 3機(カタパルト2基) | − |