那智(妙高型重巡洋艦)



 那智(なち)は、日本海軍の重巡洋艦。妙高型の2番艦である。

 呉海軍工廠にて建造。就役後、1932年には上海事変で警備に従事した。
 日中戦争では1937年8月20日から24日まで上海上陸作戦に参加。

 1941年12月に太平洋戦争が始まるとパラオに進出し、ダバオ、メナド、アンボン島、マカッサルなどの攻略作戦を支援する。

 1942年2月17日スターリング湾を出撃しチモール島デリー、クーパン攻略を支援。22日スターリング湾に帰投し、24日ジャワ島攻略作戦支援のため出撃。27日、28日スラバヤ沖で連合軍艦隊と 交戦(スラバヤ沖海戦)。3月10日北方部隊に編入。4月11日、厚岸に入港し第5艦隊旗艦となる。5月26日アリューシャン作戦のため大湊を出航。

 1943年3月7日から13日、アッツ島への輸送作戦に参加。22日、2度目の輸送作戦で幌筵島を出撃。27日にはアッツ島沖海戦に参加し、米重巡洋艦「ソルトレイクシティ」 (USS Salt Lake City, CA-25)などと交戦するが攻撃を受け小破し戦死11名、負傷21名の損害を出す。 9月6日20時56分ごろ、大湊から幌筵島に向かっていた「那智」に向けてアメリカ潜水艦「ハリバット」が魚雷3本を発射し、うち2本が後部煙突直下と艦尾に命中した。 しかし、この魚雷は2本とも不発に終わり、へこみと若干の浸水が生じたこと以外は何もなかった。

 1944年10月15日、台湾沖航空戦での過大な戦果報告により大損害を与えたと考えられた米機動部隊攻撃のため重巡洋艦「足柄」などとともに瀬戸内海を出撃。 17日奄美大島薩川湾に入港、18日出航。20日馬公に進出し翌21日、レイテ湾に来襲したアメリカ軍攻撃のため第二遊撃部隊旗艦として出撃。25日にスリガオ海峡で大破した 重巡洋艦「最上」と衝突し損傷する。28日マニラ入港。11月5日、マニラ湾で米空母「レキシントン」(USS Lexington, CV-16)からの艦載機による空襲を受け多数の 爆弾、魚雷の命中により沈没。乗員807名が戦死し、220名が救助された。

[同型艦]
・妙高
・足柄
・羽黒
艦 歴
起工 1924年11月26日
進水 1927年6月15日
竣役 1928年11月26日
喪失(沈没) 1944年11月5日
除籍 1945年1月20日
建造所 呉海軍工廠
仕様・諸元
排水量 基準排水量 : 10,902 t
公試排水量 : 13,281 t
全長 203.76 m
全幅 19 m
喫水 10.97 m
機関 ロ号艦本式12基、艦本式タービン4基
(13,0000馬力)
最大速 35.6ノット
航続距離 7,000浬(14kt航行時)
乗員  
兵装(新造時) ・50口径3年式20cm連装砲 × 5基
・45口径10年式12cm高角砲 × 6基
・留式7.7mm単装機銃 × 2基
・13式水上固定発射管 × 12門
兵装(最終時) ・50口径3年式U号20cm(20.3cm)連装砲 × 5基
・40口径89式12.7cm連装高角砲 × 4基
・96式25mm連装機銃 × 10基
・96式25mm単装機銃 × 28基
・92式4連装発射管 × 2基(魚雷:93式酸素魚雷61cm 16本)
艦載機 水偵3機(射出機:呉式2号1型1基、後に呉式2号5型2基)