愛宕(高尾型重巡洋艦)



 愛宕(あたご)は、日本海軍の重巡洋艦。高雄型の2番艦である。呉海軍工廠にて建造。艦名は京都府の愛宕山に因んで命名された。 急ピッチで工事をしたため1番艦の「高雄」より早く完成した。このため、高雄型重巡を愛宕型と呼ぶこともある。

 「愛宕」は初代艦長佐田健一大佐の指揮下1932年3月30日就役する。4月16日には犬養毅首相を始めとする政府高官を乗せて東京湾を巡航する。 同年12月、2代目艦長高橋伊望大佐の指揮下第2艦隊第4戦隊に編入される。

1933年8月26日には横浜沖で行われた特別大演習での観艦式に、昭和天皇が乗艦する戦艦「比叡」の供奉艦として参列した。

1936年10月には昭和天皇が乗艦し、江田島に入港、兵学校行幸を行っている。

1938年4月には近代化改装が行われ、翌1939年10月に工事完了。1941年10月「摩耶」に代わって第2艦隊旗艦となる。

1942年8月24日の第二次ソロモン海戦、10月26日から27日にかけて行われた南太平洋海戦、11月15日の第三次ソロモン海戦に参加。 第三次ソロモン海戦では、近藤信竹中将指揮の下、米戦艦「サウスダコタ」ならびに「ワシントン」と夜間砲戦を行った。「愛宕」と「高雄」は海戦序盤に「ワシントン」に向け雷撃を 試みるも魚雷の信管過敏による命中直前の自爆という不運もあり全て命中しなかった。その後2隻は「サウスダコタ」に計23発の命中弾を浴びせ、「霧島」も「サウスダコタ」第三砲塔に 35.6cm砲を命中させるなど「サウスダコタ」を撃破したが、「ワシントン」のレーダー管制射撃により日本海軍は「霧島」を喪失した。この海戦で「愛宕」は小破し、 修理のため12月17日に呉に帰投した。

1943年11月5日、第一次トラック空襲で至近弾を受け右舷を損傷。艦長中岡信喜大佐以下22名が死亡、20名が重傷を負う。

1944年10月22日、栗田健男中将座乗の第2艦隊旗艦としてブルネイを出航、レイテ島へ向かう。翌10月23日、パラワン水道において米潜水艦「ダーター」(USS Darter, SS-227)に捕捉され、 06:32に距離およそ900mから「ダーター」の放った6本の魚雷のうち4本が右舷に命中、栗田中将、荒木艦長以下の生存者は駆逐艦「岸波」が529名、「朝霜」が171名を救助した。 「愛宕」は06:53に転覆、沈没し機関長の堂免敬造中佐以下360名が戦死した。

[同型艦]
・高尾
・摩耶
・鳥海

艦 歴
起工 1927年4月28日
進水 1930年6月16日
就役 1932年3月30日
喪失(沈没) 1944年10月23日
除籍 1944年12月20日
建造所 呉海軍工廠
仕様・諸元
  竣工時 改装後
排水量 基準排水量:11,350 t 基準排水量:13,400 t
全長 203.76 m
全幅 19.00 m 20.73 m
喫水 6.11 m 6.32 m
機関 ロ号艦本式缶12基、艦本式タービン4基4軸
  (130,000馬力)
最大速 35.5ノット 34ノット
航続距離 8,000海里(14ノット航行時) 5,000海里(18ノット航行時)
乗員 727 名 835 名
兵装 ・50口径20.3cm連装砲 × 5基
・45口径12cm単装高角砲 × 4門
・40mm単装機銃 × 2挺
・61cm連装魚雷発射管 × 4基
(九〇式魚雷16本)
・50口径20.3cm連装砲 × 5基
・89式12.7cm連装高角砲 × 4基
・25mm連装機銃 × 4基
・13mm連装機銃 × 2基
・92式61cm4連装魚雷発射管 × 4基
(九三式魚雷24本)
装甲 ・舷側 127mm
・水平 34-46mm
・砲塔 25mm
艦載機 水上偵察機3機(射出機2基)