足柄(妙高型重巡洋艦)



 足柄は、日本海軍の重巡洋艦、妙高型の3番艦である。 川崎重工業神戸造船所にて建造され、艦名は神奈川県箱根の足柄山に因んで命名された。 戦後この名称は海上自衛隊のあたご型護衛艦の2番艦「あしがら」に受け継がれている。  1937年のジョージ6世戴冠記念観艦式の際には招待艦としてイギリスへ派遣され、「飢えた狼」というニックネームをつけられた。

 大東亜戦争において、軽巡洋艦「長良」を除いた第十六戦隊は重巡洋艦「摩耶」、特設水上機母艦「讃岐丸」、駆逐艦2隻と共に比島部隊主隊としてフィリピン進攻作戦に参加した。  主隊の任務はフィリピンのビガン攻略を行なう第二急襲隊の支援。 主隊の「足柄」、重巡洋艦「摩耶」、軽巡洋艦「球磨」、駆逐艦「朝風」、「松風」は1941年12月7日に澎湖諸島馬公から出撃。  12月10日、主隊はアメリカ海軍第10哨戒航空団のPBYに発見され、続いて哨戒航空団の飛行艇5機による攻撃を受け命中弾はなかったものの「足柄」の艦尾近くに爆弾が落下した。 アメリカ側は戦艦の艦尾に命中させた、と報告している。  また、対空砲火で1機が損傷した。

 1942年(昭和17年)3月1日のスラバヤ沖海戦では、足柄は姉妹艦3隻と共にイギリス海軍の重巡洋艦エクセター、駆逐艦エンカウンター、ポープを共同で撃沈した。 戦闘終結後、高橋第三艦隊司令長官の命令により連合軍将兵の救助活動を行う。  3月3日には高角砲にて連合軍潜水艦の撃沈を記録した。 その後第2南遣艦隊旗艦となり、シンガポール方面で活動する。 足柄は東南アジア各地の視察・訪問・兵員輸送・巡航・警戒任務に従事、東奔西走した。  1944年(昭和19年)2月25日に第五艦隊第二十一戦隊(青葉、足柄、鬼怒、敷波、浦波、天霧)所属となる。 3月29日に佐世保入港後、4月2日に大湊入港。 アリューシャン方面で警備につく。  6月上旬、マリアナ沖海戦で日本海軍は大敗した。 神重徳連合艦隊参謀は戦艦山城、巡洋艦那智、足柄、多摩、木曽、阿武隈等の第五艦隊によるサイパン島突入作戦を発案、アメリカ軍に対し陸上砲撃をおこなう計画を提案した。  6月21日、横須賀に入港して作戦準備をおこなうが、実行前に作戦は中止となった。 8月、呉に移動。同月、第五艦隊と第12航空艦隊で北東方面艦隊が編成される。 10月、台湾沖航空戦で日本軍はアメリカ艦隊に大損害を与えたと誤認。  第二十一戦隊は残敵掃討に向かうが、戦闘はなく帰還した。

 1944年10月のレイテ沖海戦に足柄は志摩艦隊所属で参加した。日本海軍は大敗し、前任が足柄の艦長であった阪匡身が艦長として座していた戦艦の扶桑も、足柄の傍で山城と共に沈んでいる。  レイテ沖海戦後、第二十一戦隊は解隊された。 12月5日、足柄の所属する第五艦隊が南西方面艦隊に転属となった。 その後アメリカ軍のミンドロ島侵攻に伴う突入作戦(礼号作戦)に参加。  巡洋艦2隻、駆逐艦6隻となった突入部隊は、挺身部隊と呼称された。 挺身部隊は12月24日にカムラン湾を出撃。 12月26日、挺身部隊はアメリカ軍機に発見され、その後爆撃を受けて被害が発生した。  続いてアメリカの魚雷艇が出現し、「足柄」、「大淀」、駆逐艦「霞」が砲撃を行った。 挺身部隊は23時2分から27日0時4分にかけてマンガリン湾内の船舶やブグサンガ川河口の物資集積所及び飛行場を攻撃した。  0時47分、「足柄」は魚雷艇2隻を発見。 「足柄」と「大淀」は砲撃を行い魚雷艇を撃退した。 「足柄」と「大淀」、駆逐艦2隻は12月28日にカムラン湾に帰投。  1945年(昭和20年)2月5日に南方に分断された残存艦艇で第十方面艦隊が編成され、足柄はそこに属する第五戦隊の所属となった。

 1945年6月4日にジャカルタに到着した「足柄」と駆逐艦「神風」は陸兵1649名、物件480トンをのせると6月7日に出港。 この行動はイギリス側に知られており、バンカ海峡に潜水艦「トレンチャント」と「スチジアン」が配置されていた。  6月8日、「足柄」を発見した「トレンチャント」は距離約3000ヤードで魚雷8本を発射し、5本が「足柄」の右舷に命中。 加えて、当時「足利」は触礁のため左舷外側の推進器がなく面舵の利きが悪かったが、当直仕官は面舵を指示したという。  「足柄」は12時37分に沈没。 ペナン沖海戦で沈没した第五戦隊のもう1隻の姉妹艦の羽黒が6月20日に除籍されると、第五戦隊は解隊された。 終戦から5日後の1945年8月20日、足柄は除籍された。

[同型艦]
・妙高
・那智
・羽黒
艦 歴
起工 1925年4月11日
進水 1928年4月22日
就役 1929年8月20日
喪失(沈没) 1945年6月8日
除籍 1945年8月20日
建造所 川崎造船所
仕様・諸元
排水量 基準排水量 : 11,300 t → 13,000 t
公試排水量 : 14,743 t
全長 203.76 m
全幅 19 m → 20.73 m
喫水 5.9 m → 6.37 m
機関 130,000hp
最大速 35.5 ノット → 33 ノット
航続距離 7,000 海里(14kt航行時)
乗員 704 名
兵装(竣工時) ・三年式20cm連装砲 × 5基
・十年式12cm単装高角砲 × 6基
・留式7.7mm単装機銃 × 2挺
・一二式61cm3連装舷側発射管 × 4基
・八年式二号魚雷 × 24本
兵装
(第二次改装後)
・三年式2号20cm連装砲 × 5基
・八九式12.7cm連装高角砲 × 4基
・九六式25mm連装機銃 × 4基
・九三式13mm連装機銃 × 2基
・九二式61cm4連装水上発射管 × 4基
・九三式酸素魚雷 × 24本
・九五式爆雷 × 18個
艦載機 水上偵察機2機 → 3機