青葉(青葉型重巡洋艦)



 青葉(あおば)は、旧日本海軍の青葉型重巡洋艦の1番艦である。

 太平洋戦争開戦以前は日中戦争に出動し、上海上陸作戦の支援などを行っている。
1938年11月〜1940年10月まで改装工事を行い、主砲の口径を20.3cmに変更。開戦後は南洋部隊に所属し、トラック諸島方面へ進出、グアム島攻略作戦など中部太平洋の作戦に参加した。 1942年5月の珊瑚海海戦、8月7日夜の第一次ソロモン海戦に参加、10月11日のサボ島沖海戦に参加した際に、敵巡洋艦部隊のレーダー射撃を受けて大破し、翌年2月まで呉海軍工廠で修理を受けた。 修理後、ソロモン方面へ進出したが、4月3日にメウエパセージ港にて米軍機の爆撃を受け爆弾1、至近弾多数を受けて魚雷が誘爆し大破、近くの浅瀬に擱座してかろうじて沈没を免れた。 現地での排水作業には1ヶ月掛かり浮揚し、川内に曳航されてトラックへ帰着した。ここで機関2軸を整備し自力で8月1日に呉へ帰港、11月24日まで再び修理に従事した。 修理完了後は第一南遣艦隊に所属しシンガポールへ進出、同方面で輸送任務に従事した。レイテ沖海戦では後方での兵員輸送を命じられたが、1944年10月23日 ルソン島西方で米潜水艦ブリーム (USS Bream, SS-243) の雷撃を受け大破。右舷前部機械室への魚雷命中により右に13度傾斜した状態で軽巡洋艦鬼怒に曳航されてマニラ湾に入港。 その翌日にも米軍の空母艦載機による攻撃を受けた。同地での応急修理により5ノットの航行が可能となり、11月6日にサンタクルーズを出港、12月12日にかろうじて呉軍港に帰投した。

 潜水艦の攻撃で大破した青葉は呉で本格的修理を行う予定であったが、あまりも大きすぎる損傷のために修理の見込みが立たず、呉工廠近くに繋留放置されていた。 1945年3月に米軍空母機動部隊よる攻撃が開始されると、青葉も防空砲台として奮戦したが、7月24日に命中弾1至近弾1、28日に命中弾4を受けて艦尾はほぼ切断状態となり、 艦内は海水で満水となった結果ついに大破着底した。 そのままの状態で終戦を迎え、1946年11月より播磨造船の手により解体されている。現在、大和ミュージアムには青葉が海戦で損傷したため撤去された一つの主砲砲身の尾部が展示されている。

[同型艦]
・衣笠

艦 歴
起工 1924年1月23日
進水 1926年9月25日
就役 1927年9月20日
喪失(沈没) 1945年7月28日 : 呉にて米軍機の攻撃を受け大破、着底
1947年7月1日 : 解体
除籍 1945年11月20日
建造所 三菱造船長崎造船所
仕様・諸元
  竣工時 改装後
排水量 基準排水量:8,300 t 基準排水量:9,000 t
全長 185.17 m
全幅 15.83 m 17.56 m
喫水 5.71 m 5.66 m
機関 ロ号艦本式缶専焼10基、同混焼2基
三菱パーソンズ式タービン4基4軸
  (102,000馬力)
ロ号艦本式専焼缶12基
三菱パーソンズ式タービン4基4軸
  (102,000馬力)
最大速 36ノット 33.43ノット
航続距離 7,000海里(14ノット航行時) 8,223海里(14ノット航行時)
乗員 643 名 657 名
兵装 ・50口径20cm連装砲3基 × 6門
・45口径12cm単装高角砲 × 4門
・61cm連装魚雷発射管 × 6基
・八年式二号魚雷 × 24本
・留式7.7mm機銃 × 2挺
・50口径20.3cm連装砲3基 × 6門
・45口径12cm単装高角砲 × 4門
・61cm4連装魚雷発射管 × 2基
・九三式魚雷 × 16本
・25mm連装機銃 × 4基
・13mm連装機銃 × 2基
装甲 ・舷側 76mm
・水平 32-35mm
・主砲 25mm
艦載機 1機(カタパルト0基) 2機(カタパルト1基)