野分(陽炎型駆逐艦)



 野分(のわき)は日本海軍の駆逐艦。陽炎型駆逐艦の第15番艦である。1944年、比島沖海戦で戦没。艦名は初代「野分」(初代神風型駆逐艦)に続いて2代目。

 陽炎型駆逐艦のマル3計画での最終艦(15隻目。陽炎型は次のマル4計画でも4隻建造され計19隻)、仮称第31号艦として舞鶴工廠で1939年11月8日起工、1940年9月17日進水、1941年4月28日竣工。横須賀鎮守府籍。

 太平洋戦争開戦時は「野分」「嵐」「萩風」「舞風」の4隻で第4駆逐隊を編成し南方部隊本隊に所属、カムラン湾方面で南方作戦を支援する。開戦初日にノルウェー船を拿捕している (日本軍の拿捕第1号)。

 1942年2月に「嵐」と組みジャワ島南方に進出、「高雄」「愛宕」「摩耶」らと共に敵艦や商船を撃沈、1隻拿捕などの戦果をみせた。内地に帰還した後 ミッドウェー海戦には「赤城」の直衛で参加し、「赤城」被爆後は第1航空艦隊司令部が一時移乗、その夜「赤城」の乗員を救助、魚雷処分を行った。また直後のアリューシャン攻略作戦を 支援するため北方海面に進出した。

 米軍のガダルカナル島上陸後ソロモン諸島へ進出、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦に参加する。ガ島輸送に4回従事したが、1942年12月7日、ガダルカナル島付近で敵機の攻撃を受け 前部機械室右舷至近に爆弾が落下、前部機械室が全損、浸水し15名が戦死した。航行不能のため曳航されてトラックに入港、同地の浮きドックで外板の補修と左舷軸系の応急修理を実施した。 翌1943年2月に内地に帰還、東京石川島造船所で本格修理を実施した。7月25日に修理完成し29日には横須賀港を出港、トラックに進出し船団護衛任務についた。

 1944年2月17日、僚艦「舞風」と共に「香取」「赤城丸」を護衛しトラック諸島を出港。内地帰還の予定だったが当日早朝よりトラック島空襲に遭遇、空襲とその後の水上艦の砲撃により 「舞風」「香取」「赤城丸」は撃沈される。「野分」も空襲と敵艦の砲撃を受けたが無傷で切り抜け、2月24日横須賀港に帰港した。

 3月12日に横須賀を出港しその後はサイパン方面の船団護衛任務に就く。5月にはタウイタウイに進出し6月のマリアナ沖海戦に参加した。 横須賀帰港後、リンガ泊地に進出し訓練に従事する。比島沖海戦には栗田艦隊の1艦として参加した。サマール島沖海戦で沈没した「筑摩」乗員救助で撤退する本隊から遅れたため、 10月25日の深夜にサンベルナルジノ海峡手前で米軍に捕捉されレーダー射撃を受け大破、最後は駆逐艦の魚雷を受け沈没した。艦長以下272名全員が戦死、救助された「筑摩」乗員も同じ運命を 辿った。1945年1月10日除籍。

[同型艦]
・陽炎[U] , 不知火[U] , 黒潮 , 親潮 , 早潮 , 夏潮 , 初風 , 雪風 , 天津風[U] , 時津風[U] , 浦風[U] , 磯風[U] , 浜風[U] , 谷風[U] , 野分[U] , 嵐 , 萩風 , 舞風 , 秋雲
艦 歴
起工 1939年11月8日
進水 1940年9月17日
竣工 1941年4月28日
喪失(沈没) 1944年10月25日
除籍 1945年1月10日
建造所 舞鶴海軍工廠
仕様・諸元
基準排水量 2,033 t
全長 118.5 m
全幅 10.8 m
喫水 3.8 m
機関 ロ号艦本式缶3基、艦本式衝動タービン2基2軸
(52,000馬力)
最大速 35.0ノット
航続距離 5,000海里(18kt航行時)
乗員 239 名
兵装 ・50口径三年式12.7cm砲連装 × 3基
・25mm機銃連装 × 2基
・61cm魚雷発射管4連装 × 2基
・爆雷 × 16個