早波(夕雲型駆逐艦)
早波(はやなみ)は日本海軍の駆逐艦で、夕雲型駆逐艦の第12番艦である。
1942年度(マル急計画)仮称第340号艦として舞鶴海軍工廠で建造。 1943年7月31日に竣工して一等駆逐艦に類別され、舞鶴鎮守府籍となった。 竣工後、藤波とともに訓練部隊の第十一水雷戦隊に編入。 瀬戸内海に回航され訓練を受けた後、8月20日付で「涼波」「藤波」を加えて第三十二駆逐隊が編成される。 翌8月21日、駆逐艦「響」「涼波」「藤波」とともに横須賀に回航され、戦艦「山城」を護衛して8月27日に瀬戸内海に帰投した。 9月30日付で第三十二駆逐隊は第二水雷戦隊 に編入されるが、引き続き第十一水雷戦隊の指揮を受けた。 10月15日、早波以下第三十二駆逐隊は軽巡洋艦「龍田」、戦艦「山城」「伊勢」とともに丁三号輸送部隊を構成して佐伯を出撃。 トラック諸島に到着後、10月23日と 27日にはポンペイ島への陸軍部隊輸送に2回従事した。 11月3日にトラックに帰投後、直ちにラバウルに進出。 しかし、ラバウルでは連日空襲を受け、11月11日には 「涼波」が沈没した。トラックへの退却の途中、アメリカ潜水艦スキャンプ (USS Scamp,SS-277) の雷撃で航行不能となった軽巡洋艦「阿賀野」の救援にあたり、 トラックに帰投後はクェゼリン環礁およびウォッジェ環礁への緊急輸送作戦に参加した。 輸送作戦終了後の12月以降は、トラックとパラオ間でタンカー船団の護衛に従事した。 1944年1月18日、第二水雷戦隊旗艦「能代」、空母「雲鷹」などを護衛してトラックを出港するが、翌19日にアメリカ潜水艦ハダック (USS Haddock,SS-231) の雷撃で「雲鷹」 が損傷し、対潜掃討を行った。 この後、サイパン島を経由して1月24日に横須賀に帰投。 横須賀海軍工廠で整備の後、2月15日に重巡洋艦「高雄」を護衛して横須賀を出撃し、 2月20日にパラオに到着した。 4月14日からはリンガ泊地にて訓練を実施。 5月18日、第一機動艦隊、第二艦隊の大部分を護衛してタウイタウイに進出し、訓練を続けた。 6月7日「早波」は外洋で対潜掃討に従事していた。 この時、外洋ではアメリカ潜水艦ハーダー (USS Harder,SS-257) が哨戒を行っていた。 ハーダーは前日にシブツ海峡で タンカー船団を発見して攻撃し、駆逐艦「水無月」を撃沈していた。 折からのスコールを抜けたハーダーは、航空機を発見して潜航。 一時間後、ハーダーは潜望鏡で 「早波」を発見する。 ハーダーは戦闘配置を令し、様子を伺うと早波は真一文字に潜望鏡めがけて突進してくる。 11時34分、ハーダーは600メートル足らずの距離で 「早波」の真正面めがけて5秒おきに魚雷を3本発射。 そのうちの2本が命中し、艦後部を先にして沈没した。第三十二駆逐隊の折田常雄司令と駆逐艦長清水逸郎中佐以下 253名が戦死し、45名が救助された。ハーダーの戦闘報告では、発見されてから撃沈までわずか9分から12分の出来事だったと記している。 [同型艦] ・夕雲 , 巻雲[II] , 風雲 , 長波 , 巻波 , 高波 , 大波 , 清波 , 玉波 , 涼波 , 藤波 , 早波 , 浜波 , 沖波 , 岸波 , 朝霜 , 早霜 , 秋霜 , 清霜 |
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艦 歴 |
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起工 | 1942年1月15日 |
進水 | 1942年12月19日 |
竣工 | 1943年7月31日 |
喪失(沈没) | 1944年6月7日 |
除籍 | 1944年8月10日 |
建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
仕様・諸元 |
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排水量 | 基準排水量 : 2,077 t 公試排水量 : 2,520 t |
全長 | 119.3 m |
全幅 | 10.8 m |
喫水 | 3.76 m |
機関 | ロ号艦本式缶3基、艦本式タービン2基2軸 (52,000馬力) |
最大速 | 35.0ノット |
航続距離 | 5,000海里(18kt航行時) |
乗員 | 225 名 |
兵装 | ・50口径12.7cm連装砲 × 3基 ・25mm機銃連装 × 2基 ・61cm魚雷発射管4連装 × 2基 ・爆雷 × 18個 |