初月(秋月型駆逐艦)
初月(はつづき)は、日本海軍の駆逐艦。秋月型駆逐艦の4番艦である。艦名は「新月」の意、特に陰暦8月の初めの月を意味する。
1939年度(マル4計画)仮称第107号艦。舞鶴海軍工廠で1941年7月25日起工、1942年4月3日進水、同年12月29日に竣工、横須賀鎮守府部隊に編入された。 1943年1月15日第3艦隊第10戦隊第61駆逐隊に編入され、3月に機動部隊の直衛艦としてトラックに進出、同地を拠点に各地への輸送任務や護衛に従事した。 1944年2月5日、「翔鶴」「瑞鶴」を護衛し瀬戸内海を出発、シンガポールの南80海里にあるリンガ泊地まで進出する。一旦内地へ帰還し呉より「大鳳」を護衛し再度リンガ泊地へ進出、 同地で訓練に従事し、6月のマリアナ沖海戦に参加する。 10月25日のエンガノ岬沖海戦には、「瑞鶴」の護衛艦として参加。「瑞鶴」沈没時には救助活動を行い、その後、同型艦「若月」と軽巡「五十鈴」と共に「千代田」乗員の救助に向かう。 その救助作業中、アメリカ艦隊(重巡2・軽巡2・駆逐艦12)が接近し砲戦となる。「五十鈴」と「若月」は反転、退避したが、「初月」は「敵艦隊と接触中」の旨の無線を発した後、消息不明と なる。アメリカ側の記録によると砲撃と雷撃により撃沈された。この戦闘では実に2時間にわたり敵を拘束し、結果的に味方部隊を救うこととなった。この戦闘で、米軍巡洋艦4艦は徹甲弾を 合計1,200発以上撃っており、司令官は「初月」を戦艦か少なくとも巡洋艦であると主張していた。 艦長以下290名が戦死、「初月」に救助された「瑞鶴」乗員も同じ運命を辿った。この時「瑞鶴」乗員救助中の内火艇が取り残されて漂流、21日目に台湾に流れ着き「瑞鶴」乗員17名、 「初月」乗員8名が生還している。同年12月10日に除籍。 [同型艦] ・照月 , 涼月 , 初月 , 新月 , 若月 , 霜月 , 冬月 , 春月 , 宵月 , 夏月 , 満月(未成) , 花月 |
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艦 歴 |
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起工 | 1941年7月25日 |
進水 | 1942年4月3日 |
竣工 | 1942年12月29日 |
喪失(沈没) | 1944年10月25日 |
除籍 | 1944年12月10日 |
建造所 | 舞鶴海軍工廠 |
仕様・諸元 |
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排水量 | 基準排水量 : 2,701 t 常備排水量 : 3,470 t |
全長 | 134.2 m |
全幅 | 11.6 m |
喫水 | 4.15 m |
機関 | ロ号艦本式缶3基、艦本式タービン2基2軸 (52,000馬力) |
最大速 | 33.0ノット |
航続距離 | 8,000海里(18kt航行時) |
乗員 | 263 名 |
兵装 | ・65口径10p連装高角砲 × 4基 ・九六式25mm機銃3連装 × 5基 ・九六式25mm機銃単装 × 7挺 ・13mm単装機銃 × 3挺 ・61cm4連装魚雷発射管1基4門 ・九四式爆雷投射器2基 |