雲龍(雲龍型航空母艦)
雲龍(うんりゅう)は、大日本帝国海軍の航空母艦。雲龍型航空母艦の一番艦。
昭和15年に建造が決定されたアメリカ海軍のエセックス級空母三隻に対抗するため、翌年に日本海軍は「昭和十六年度戦時急造計画」として建艦計画をたて、その中で中型空母一隻を緊急建造することとした。これが「雲龍」である。 昭和16年時点で、11隻の建造が決定していた(最終的に32隻の建造が計画された)エセックス級への対抗とミッドウェイ海戦における空母喪失を補うため、昭和十七年度軍備充実計画を改訂し、昭和十七年度戦時艦船建造補充計画として改大鳳級5隻、先の中型空母15隻の追加建造を決定した。 船体の設計は飛龍を基本としたが、 @ 問題のあった左舷中央部配置の艦橋の右舷前部への配置変更。 A 緊急建造の為に中央部エレベータを廃止し2基とした。ただし、各エレベーターは航空機の大型化に対応するために14メートル四方と拡大。 B 対空機銃の増設、及び12cm28連装噴進砲(ロケット弾)装備(高角砲は同数)。 C 罐の空気取り入れ口を左右両舷とした。(以前は右舷側のみ) D 艦内の塗料を不燃性に変更。 E ガソリンタンクの周囲の防水区画にコンクリートを注入して充填。 などの改良が施されているが、基本的に小改良に留まっており、大鳳のエンクローズドバウや瑞鶴のバルバスバウなどは採用されていない。 1942年8月1日起工、1943年9月25日進水、1944年8月6日竣工。起工から竣工まで約2年である。(飛龍は約3年)。 捷一号作戦に敗北した結果、組織的艦隊行動が不可能となった上、台湾沖航空戦で搭載する航空機を失った為、竣工後、姉妹艦の天城と第1航空戦隊を編成したものの、 空母機動部隊として運用されることはなく、空母として活躍することはなかった。 雲龍は重量物輸送船として用いられた。1944年12月19日、東シナ海宮古島沖においてフィリピン方面への物資輸送任務中に バラオ級潜水艦レッドフィッシュ (SS-395) により 右舷に雷撃1を受けた。雲龍はただちに反転するとともに護衛の駆逐艦が爆雷攻撃を始めたが、8分後にまたもや右舷に1本被雷、その直後、物資が誘爆し沈没した。 搭載物資は震洋などの特攻機材であった。 [同型艦] ・雲龍 ・天城 ・葛城 ・笠置(建造中止) ・阿蘇(建造中止) ・生駒(建造中止) |
|
艦 歴 |
|
---|---|
起工 | 1942年8月1日 |
進水 | 1943年9月25日 |
竣工 | 1944年8月6日 |
喪失(沈没) | 1944年12月9日 |
除籍 | 1945年2月20日 |
建造所 | 横須賀海軍工廠 |
仕様・諸元 |
|
排水量 | 基準排水量:17,480 t 公試排水量:20,450 t |
全長 | 227.35 m |
全幅 | 22.00 m(水線幅) |
喫水 | 7.86 m |
機関 | ロ号艦本式専焼缶8基 , 艦本式タービン4基4軸 (152,000hp) |
最大速 | 34.0ノット |
航続距離 | 8,000nm(18kt航行時) |
乗員 | 1,556 名 |
兵装 | ・40口径12.7cm連装高角砲 × 6基 ・25mm3連装機銃 × 21基 ・25mm単装機銃 × 30挺 ・12cm28連装噴進砲 × 6基 |
搭載機 (常用+補用) |
・一七試艦上戦闘機(烈風):18+2機 ・一七試艦上偵察機(彩雲):6+0機 ・一六試艦上爆撃機(流星):27+0機 合計:51+2機 |