大鳳(大鳳型航空母艦)



 大鳳(たいほう)は、日本海軍の航空母艦。 同型艦はなし。 空母機動部隊として艦載機を載せて実戦に参加した日本海軍の正規空母の中では最後に竣工した。

 1939年に策定された第4次充実計画(通称マル4計画)において計画された航空母艦で「W14」という秘匿名称が与えられ検討が進められたが、完成するまでは紆余曲折があった。 昭和13年の大蔵省説明資料での初期案は、15.5cm砲6門を搭載する、 かつて計画された「蒼龍原案」のような仕様であった。 時代に逆行したようなこの初期案は、当初大鳳型が単独で前方に進出し味方攻撃隊の中継基地になるという運用構想による。 遭遇した敵艦を振り切る高速力と強力は砲撃力が必要と考えられたからである。  しかし航空機の高性能化に伴い、中継基地として使用する案は早々に破棄され、通常の艦隊型空母として開発されることになった。 この時点で船体は翔鶴型航空母艦を基にしつつ、それに装甲を張り巡らせた重防御を持つと構想された。  「大鳳」以前の日本空母の飛行甲板は、同時期のアメリカ海軍空母と同様にほとんど無防御だった。急降下爆撃機の発達により、爆撃によって空母の発着能力が容易に奪われてしまうことを憂慮した日本海軍は航空母艦の飛行甲板には装甲防御が必須であると考えられたが、 航空機の大型化と高威力化する爆弾に対する限界も指摘され、その防御方法の検討には混乱を伴った。 この考えに基づき建造された「大鳳」は、日本海軍が待望久しかった飛行甲板に装甲を施した空母であった。 なお「大鳳」には同形艦は存在しないが、 小改良を施した改大鳳型航空母艦が設計され、戦況の悪化に伴い建造中止となっている。

 1941年7月10日川崎重工業神戸造船所にて起工。 1943年秋頃に進水予定であったが、起工から半年後に太平洋会戦が起こり工期繰上げが要求され1943年4月7日進水となる。 1944年神戸港から備讃瀬戸と来島海峡を通過して呉軍港に移動し最終的な艤装が施された。   同3月7日竣工。

 1944年6月18日、マリアナ沖海戦に参加。 「大鳳」から発艦した彗星が米軍機動部隊を発見し前衛艦隊は攻撃隊発進を開始したが、攻撃隊の帰還は夜間となるため夜間着艦の危険性を考慮され、この日の攻撃は見送られた。 6月19日、午前6時30分「能代」の水偵が 米軍機動部隊を発見。 午前7時45分より「大鳳」は攻撃隊を発艦した。 7時58分には予定どおり発艦作業が終了。 艦の殆どの者が甲板に上がって攻撃隊を見送っており、対潜警戒がおろそかになっていた可能性も指摘される。 そのころガトー級潜水艦 「アルバコア」(USS Albacore, SS-218) が小沢艦隊を追跡していた。 「アルバコア」は望ましい発射点に付く事を諦め、やや遠距離から6本の魚雷を発射した。 「大鳳」の上空では発艦した第一次攻撃隊が編隊を組みつつあったが、小松幸男兵曹長の彗星が 編隊に加わろうとせず、右に旋回して海に突入した。 「大鳳」から右5000mくらいの海面だったという。 これは同機が雷跡を発見し、自爆突入して魚雷を阻止しようと試みたものである。 見張員は直ちに報告、「大鳳」は28ノットで直進中であり取舵一杯が下令されたが、 午前8時10分に1本が右舷前部に命中した。

 この時点で「大鳳」は傾斜も起きず、前部がやや沈下したのみで、戦闘続行可能だった。だが前部昇降機が下部の戦闘機格納庫から1mほどのところで零戦を乗せたまま前側に傾いて停止した。 小沢長官の命令により、工作兵が総動員で作業は艦内にあった応急処置用の 丸太をかき集め、停止した昇降機の上に食堂の椅子や机を櫓状にくみ上げて昇降機の穴を塞いだ。 攻撃隊指揮官の小野大尉がその強度を確認し、搭載していた魚雷や燃料を降ろして軽くした零戦1、彗星1、天山4〜5機が発艦し「瑞鶴」に移動した。  午前10時30分、第一航空艦隊(小沢部隊)から第二次攻撃隊が発進している。 速力は船体の沈下によって26ノットに低下した。 艦首の沈下は内務科・補機分隊によって左舷後部への注水が実施され、早々に是正された。

 午後2時を過ぎると、小沢艦隊第二次攻撃隊が米艦隊を発見できず、損害もないまま艦隊上空に戻ってきた。 この隊を収容中の午後2時32分(被雷から約4時間後)、気化したガソリンに引火し、「大鳳」は大爆発を起こす。 「大鳳」艦橋勤務の近藤敏直少尉によれば、 最初の着艦機が胴体着陸した直後に爆発が発生したという。 空母「瑞鶴」から目撃していた整備下士官は、駐機していた機に着艦失敗機が突入した直後、大火災が発生したと述べている。 また上記の5機を収容して次の零戦が着艦しようとしたところ、急にその零戦が 着艦をやめて飛び去ってしまい、その直後に大爆発したという証言もある。 第二次攻撃隊は「大鳳」への着艦が不可能となり、「瑞鶴」に着艦した。 「大鳳」の損傷は重大だった。 厚い装甲板を張った飛行甲板が飴板のように盛り上がり、前部飛行甲板はあっという間に炎に包まれた。 航海士が艦橋後部に設置されている遠隔操作の消化装置を作動させたが鎮火しなかった。 機関部は爆発時の火炎によって全滅したと 思われ、艦は急速に速度を落とし停止した。 機関部との連絡がつかないため消防管のバルブが開けられず、消火活動は全くはかどらなかった。 昇降機周辺や甲板上にいた乗員も爆発の衝撃で吹き飛ばされて多数の死傷者を出した。 小沢長官や古村参謀長は艦橋が 盾になったため爆風を免れた唯一のカッターに乗り駆逐艦「若月」に移動する。 その後、16時6分に重巡洋艦「羽黒」に移った。 「大鳳」では小爆発が連続し、駆逐艦「磯風」と「初月」が脱出者の救助にあたった。 最終的に「磯風」が「大鳳」艦尾に接艦して 乗組員を救助している。 「大鳳」は左舷に大きく傾斜し、午後4時28分、艦尾から沈没した。 爆発時に搭載していた零戦5機、九九艦爆1機、彗星4機、天山3機も「大鳳」と共に失われている。

[同型艦]
・なし
艦 歴
起工 1941年7月10日
進水 1943年4月7日
就役 1944年3月7日
喪失(沈没) 1944年6月19日
除籍 1945年8月26日
建造所 川崎重工神戸造船所
仕様・諸元
排水量 基準排水量:29,300 t
公試排水量:32,400 t
全長 260.6 m
全幅 27.7 m(水線幅)
喫水 9.59 m
機関 タービン4基4軸(160,000shp)
最大速 33.3ノット
航続距離 10,000nm(18kt航行時)
乗員 2,038 名
兵装 ・10cm連装高角砲 × 6基12門
・25mm3連装機銃 × 22基66挺
搭載機
(常用+補用)
常用52機、補用1機