伊勢(伊勢型戦艦)



 伊勢(いせ)は旧日本帝国海軍の戦艦で、伊勢型の1番艦である。

 1915年5月10日、川崎重工業神戸造船所で起工。1916年11月12日進水、1917年12月1日就役。 山口多聞や古賀峯一等も歴代艦長の一人。 当初は扶桑型戦艦の3番艦として建造が予定されていたが、扶桑型に、砲力や防御力の面で問題点が生じたため、再設計が行われ、新しい伊勢型の 一番艦として建造された。

 排水量、装甲防御能力、速力、砲撃力等で戦艦としての総合能力では太平洋戦争開戦時の世界標準を保っていたが、他の艦艇に速力で劣る上に乗組員を多数必要とし、燃費も悪く、 その割りに用途が見出せないことから、慢性的に燃料不足に悩んでいた日本海軍は海戦参加の機会を見出せなかった。

 同型艦日向が砲塔爆発事故を起こしたのを機会に1944年、日向と共に航空戦艦に改装されたが、艦載機を搭載することができないまま空母機動部隊に所属してレイテ沖海戦に参加した。 この際の対空戦は、第四航空戦隊司令官松田千秋の発案した弾幕射撃により、航空機多数撃墜(30〜70機)を報告している。爆弾回避術も使用、内容は巡航速度で移動し、敵艦爆が降下 体制に入ると同時に思い切り舵を切ると言うものであり、艦爆から見れば目標が後逸していくので目標が無くなってしまう。しかし一度降下体制に入ると大きな目標修正が出来ず、 上昇するには爆弾を投下するしかないので再度爆撃は不可能となる。

 その後、日本国内で枯渇した石油・ゴムなどの資源を連合国制海権内の南シナ海などを強行突破して輸送する「北号作戦」に参加する。この作戦では輸送部隊に接近しようとした潜水艦を 主砲で砲撃するなど、半ば奇想天外ともとれるような戦術を駆使しながらも、奇跡的に無傷で呉に帰還を果たした。しかし、これ以降、燃料不足で行動不能な状態のまま呉港外に 停泊していたところを1945年7月28日に米機動部隊の艦載機に攻撃され大破着底し、敗戦後引き揚げられスクラップされた。
艦 歴
発注    
起工 1915年5月10日
進水 1916年11月12日
就役 1917年12月1日
喪失(着底) 1945年7月28日
除籍 1945年11月20日
仕様・諸元
排水量 38,662 t
全長 219.62 m
全幅 33.83 m
喫水 9.03 m
機関 タービン2基2軸
最大速 25.31 ノット
航続距離    
乗員 士官、兵員1,660 名
兵装 ・12.7mm連装高角砲8基16門
・25mm3連装機銃31基
・12cm30連装噴進砲6基
艦載機 常用22機