飛 龍



 飛龍(ひりゅう)は、旧日本帝国海軍の航空母艦である。 左側に島型艦橋、右側に煙突を配置して艦のバランスを保とうと試みられた実験艦的な箇所がある。左側に艦橋を配置しているのは 日本では赤城と飛龍だけである。 パイロット達には、この左配置艦橋は、発艦時に艦橋に突っ込みそうになる感じがあるため不評だったという。 しかしそれ以外の点については概ね良好であり、以後、日本海軍は飛龍・蒼龍を日本空母の原型として設計、建造をしていくことになる。

 飛龍は蒼龍と共に山口多聞少将指揮の第二航空戦隊に配属され、第一航空戦隊の赤城、加賀と共に真珠湾攻撃〜ミッドウェー海戦まで、各地を転々として戦果を挙げていく。 ミッドウェーでは四空母のうち、他の三空母が爆撃を受け、行動不能となるなか唯一、爆撃を免れ、山口少将の指揮の下、米空母ヨークタウンを大破させる。これは、友永丈市飛行隊長ら 第二航空戦隊のパイロットの腕前の高さを、はっきりと証明させるものだろう。しかし、その後の奮戦もむなしく、残るホーネット、エンタープライズ艦載機の集中攻撃を受け、 1000ポンド爆弾4発を被弾、炎上し総員退艦が発せられる。

 味方駆逐艦(第十駆逐隊の「巻雲」)の魚雷による自沈が試みられたが、数時間後、山本五十六長官率いる第一艦隊の小型空母鳳翔の偵察機が、漂流中の飛龍と、大穴が穿たれた 飛行甲板にたたずむ人影を二名確認。二つの人影は、艦と運命を共にした山口少将と、加来止男艦長と思われる。駆逐艦による本土への曳航を試みたが、到着時にはすでに沈没した後だった。 慰霊碑が長崎県佐世保市の旧海軍墓地東公園にある。
艦 歴
発注    
起工 1936年7月8日
進水 1937年
竣工 1939年7月5日
喪失 1942年6月6日
除籍 1942年9月25日
仕様・諸元
排水量 基準排水量:17,300 t
公試排水量:20,165 t
全長 222.0 m
全幅 22.32 m
喫水 7.74 m
機関 153,000 hp
最大速 34.5 ノット
航続距離 7,670 海里
乗員 1,101 名
兵装 ・12.7センチ高角砲6基 12門
・25ミリ機銃3連装 7基、連装 5基
艦載機 72機(常用63、補用9)