能美(御蔵型海防艦)



 能美は、日本海軍の海防艦である。 御蔵型海防艦の4番艦。 艦名は広島県の能美島にちなむ。 

 海防艦は英語ではcoast defense shipと言い、沿岸防御用の軍艦のことである。 小型で浅喫水の小戦艦や大型砲艦のようなものもある。 本艦種は第二次世界大戦までの艦種で、旧式になった戦艦や巡洋艦をあてることが多かった。  日本の海防艦は、1万トン級の戦艦クラスから、千トン未満の小型艦に至るまで、多岐に渡る。 沿岸・領海警備、拠点防衛、船団護衛、対潜哨戒等を主要任務とする艦のことを指す。  任務の性質上、武装・装甲を重視し、速度・航洋性を犠牲にした艦が多い。  太平洋戦争以前の日本の海防艦は、旧式化した軍艦の総称であったる。 日露戦争における日本海海戦で連合艦隊旗艦だった戦艦三笠も、最終的に海防艦へ類別変更されている。  日本海軍における海防艦は、1942年(昭和17年)7月1日の類別変更を境にその性格が大きく異なる。 軍縮条約脱退後、日本海軍は大和型戦艦や翔鶴型航空母艦と共に占守型海防艦(1000トン未満)を計画および建造する。  太平洋戦争突入後の1942年(昭和17年)7月1日、海防艦の定義を大幅に変更。 占守型の改良型や、さらに簡易化・量産化をすすめた新型海防艦を多数建造した。

 能美は1943年(昭和18年)8月10日、日立造船株式会社桜島造船所で起工し、12月3日、進水。 22日、能美と命名される。 本籍を横須賀鎮守府と仮定し、御蔵型海防艦の4番艦に定められる。  竣工は1944年(昭和19年)2月28日。 本籍を横須賀鎮守府に、役務を横須賀鎮守府警備海防艦にそれぞれ定められる。 同日付で能美は呉鎮守府隷下の呉防備戦隊に編入され、基礎術力練成教育に従事した。

 1944年(昭和19年)3月15日、能美は呉防備戦隊から除かれ、同日付で、海上護衛総司令部隷下の第二海上護衛隊に編入された。 3月16日、足摺岬沖合で雷撃され、爆雷攻撃をおこなう。 その後、能美は松輸送に投入された。

 1944年(昭和19年)7月2日、能美はキ203船団を護衛して稚内を出発。 5日、得撫島着。 6日、引き続き同復航船団を護衛して得撫島発。 8日、稚内に帰着。 同日、大湊へ回航し翌9日に到着。  16日、能美は大発を曳航して大湊発。 17日、稚内着。

 1944年(昭和19年)10月21日、能美は大湊警備府部隊より除かれ、宗谷防備部隊からの作戦指揮を解かれた。 同21日付で、第一海上護衛隊作戦指揮下に編入される。  能美は内地〜シンガポール間の護衛任務に従事することとなった。 22日、門司へ回航のため、能美は大湊を出発する。 24日、門司に到着しヒ79船団を護衛することになった。

 1945年(昭和20年)2月4日、船団を護衛しサイゴン発。 5日、第一護衛艦隊隷下の第一海防隊に編入される。 6日、シンガポール着。11日、ヒ88F船団を護衛してシンガポール発。途中、キノン湾とツーランを経由し、船団は能美の修理のため24日に香港に寄港する。  26日、能美の修理が終わり船団は香港発。 3月8日、門司着。 同日呉へ回航し、呉海軍工廠で兵器換装を含む修理と整備を行った。 「第一海防隊戦時日誌」の記述では、呉での修理中に九四式爆雷投射機を撤去して三式爆雷投射機とし、水中探信儀を仮称三式水中探信儀改二に換装、さらに一号電波探信儀三型改一を装備したとある。  呉で修理中の3月20日に第一海防隊司令海防艦に指定され、海防隊司令池田暎大佐が乗艦した]。 4月2日、修理が終わり出渠。 8日まで整備と試運転を行い、9日門司へ回航された。 11日、護衛隊(能美、三宅、第31号海防艦)はモシ02船団(特設運送船壽山丸、3,943トン、便乗者約400名)を護衛して門司を出発した。  13日午後、モシ02船団部隊は済州島飛揚島の泊地に到着し、護衛3隻(能美、海31、三宅)は交替で哨戒することになった。 14日未明、泊地に侵入してきたアメリカ潜水艦ティランテの魚雷攻撃により、壽山丸が大爆発を起こして沈没した。  能美はティランテを追跡したが、ティランテが発射した魚雷2本のうち1本が能美の艦橋直下に命中、能美はその衝撃で弾薬庫が誘爆、艦体を両断され轟沈した。  第一海防隊司令池田映大佐、海防艦長の箟源三郎少佐以下約130名余の乗組員が戦死した。 なお追跡してきた第31号海防艦に対し、ティランテは最後の魚雷を発射した。 命中した魚雷は不発であったが、衝撃で第31号海防艦の爆雷が誘爆、同艦は転覆して沈没した。  唯一生き残った三宅は、応援の海防艦粟国や第39号海防艦とともに対潜掃討をおこなうが、ティランテを捕捉できなかった。  5月25日、能美は第一海防隊と御蔵型海防艦から削除され、除籍となった。

[同型艦]
・御蔵 , 三宅 , 淡路 , 倉橋 , 屋代 , 千振 , 草垣
艦 歴
起工 1943年8月10日
進水 1943年12月3日
竣工 1944年2月28日
喪失 1945年4月14日
除籍 1945年5月25日
建造所 日立造船桜島造船所
仕様・諸元
排水量 基準排水量 : 940 t
全長 78.77 m
全幅 9.10 m
喫水 3.05 m
機関 艦本式22号10型ディーゼル 2基2軸
(4,200hp)
最大速 19.5 ノット
航続距離 5,000海里(16kt航行時)
乗員 149 名
兵装 ・45口径12cm連装高角砲 × 2基
・45口径12cm単装高角砲 × 1基
・25mm連装機銃 × 2基
・九四式爆雷投射機 × 2基
・爆雷 × 120個
・単艦式大掃海具 × 1組
レーダー ・22号電探 × 1基
ソナー ・九三式水中聴音機 × 1基
・九三式水中探信儀 × 1基