金剛(金剛型巡洋戦艦)



 金剛(こんごう)は、日本海軍が初の超弩級巡洋戦艦として発注した金剛型の1番艦。2度の改装を経て高速戦艦に変身し、太平洋戦争でも活躍した。本艦は、太平洋戦争で日本海軍が使用した 唯一の外国製の戦艦であり、唯一潜水艦の攻撃によって喪失した戦艦でもある。艦名は、奈良県にある金剛山にちなんで命名された。

 日露戦争終結2年後の1907年に建造が決定された。最初は装甲巡洋艦として計画されたが、英国が1906年に画期的戦艦ドレッドノートを完成させ、1909年には超弩級戦艦オライオン級を 起工する事態に鑑み、1911年に金剛を超弩級巡洋戦艦として建造すべく計画を変更した。 この当時日本海軍は1907年計画の国産弩級戦艦河内型を建造中であったが、構想や技術的に欧米に劣る点も多く認められたため、金剛は技術導入を兼ねて英国に設計・建造を依頼した。 設計したのはヴィッカース社の主任設計師ジョージ・サーストン卿であった。英海軍当局の課す設計上のさまざまな制限から自由に設計できたため、14インチ砲8門を搭載した、極めて バランスの取れた素晴らしい軍艦と認められた。その際立った特徴は、射界の狭い船体中央の砲塔を廃して、主砲塔を前後二基ずつ配置したことである。 このデザインは大きな影響を及ぼし、英海軍は本来ライオン級の4番艦となるはずだったタイガーの設計を大幅に変更したため、金剛に酷似したデザインの艦となった。金剛の同型艦3隻は金剛の 図面を元に国内で建造された。本艦の装甲鋼鈑には、ヴィッカース社の特殊鋼板「VC鋼板」が使用されていた。後に日本で建造された同型3艦にもこの技術は導入され国産化された。

・1914年 第一次世界大戦における太平洋航路保護のためミッドウェー方面哨戒。 ・1928年10月20日〜1931年9月20日 第一次改装実施、水平・水中防御を強化改善した結果排水量が増え速度が低下したため、1931年6月に戦艦に艦種変更された。
・1935年6月1日〜1937年1月8日  第二次改装実施、ボイラーと主機を換装、また長距離砲戦能力を強化した。機関出力は2倍になり速度は建造時を上回る30ノットに達し、 高速戦艦に生まれ変わった。
・1941年12月〜 太平洋戦争開戦時にシンガポールにいた英国東洋艦隊戦艦プリンス・オブ・ウェールズとレパルス対策として僚艦榛名とともにマレー方面に進出。その後空母機動部隊に 随伴してインド洋作戦に参加。
・1942年10月13日 榛名と共にガダルカナル島のヘンダーソン飛行場を砲撃。
・1944年10月 レイテ沖海戦に参加、サマール島沖で米カサブランカ級護衛空母ガンビア・ベイ(USS Gambier Bay, CVE-73)とジョン・C・バトラー級護衛駆逐艦サミュエル・B・ロバーツ (USS Samuel B. Roberts, DE-413) を撃沈。
・1944年11月21日 台湾海峡で米バラオ級潜水艦シーライオン(USS Sealion,SS-315)の雷撃を受け、基隆北方で沈没。


 元々軽防御の巡洋戦艦のため第一次改装で防御力を強化しても十分ではなかった。ユトランド沖海戦以後の、大口径砲弾が大角度で落下してくる場合の防御は明らかに貧弱であった。 他の日本戦艦の場合は主要部分を重点的に防御しているのに対し、金剛型の場合甲板全体を防御しているため、装甲が全体的に薄くならざるを得なかったのである。 しかし改装後の日本戦艦中で本型は唯一30ノットを超える高速性能を持ち空母機動部隊の随伴艦として最適で、同型艦4隻は参戦した戦艦中の最古参にもかかわらず最も活躍した。 金剛は太平洋戦争開戦時は同型艦榛名と共に南方攻略部隊の支援任務に就き、シンガポールに進出していたイギリス海軍最新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズと対峙したが交戦の機会は なかった。ガダルカナルの攻防戦では榛名と共に日本戦艦で初めてヘンダーソン飛行場を砲撃、同飛行場を一時機能停止に追い込んだ。 マリアナ沖海戦では機動部隊の護衛として出撃、レイテ沖海戦ではサマール島沖で遭遇した敵艦隊を攻撃し、護衛空母ガンビア・ベイ撃沈に最も貢献した。この海戦で損傷し、日本への帰途、 台湾沖で米潜水艦シーライオンの魚雷攻撃を受けた。命中した魚雷は2本であったが、当時はもうすでに艦齢30数年で老朽化が進んでおり、さらには潜水艦を回避するため破損したまま高速を 出したため、浸水によりリベットの継ぎ目などから破損箇所以外も割れて徐々に広がり、結果として傾斜が酷くなり転覆。弾薬庫の爆発を起こして沈没した。沈没時には艦付近にいた多くの乗員が 犠牲となった。被雷してから沈没まで時間があったにもかかわらず、損害の軽視、総員退艦の判断の遅れなどにより、島崎艦長、鈴木司令以下1300名と共に沈むこととなった。 日本戦艦で唯一潜水艦に撃沈された艦である。

[同型艦]
・比叡
・榛名
・霧島
艦 歴(金 剛)
起工 1911年1月17日
進水 1912年5月18日
就役 1913年8月16日
喪失(沈没) 1944年11月21日
建造所 ヴィッカース社(イギリス)
仕様・諸元
排水量 基準排水量:26,330 t
29,330 t(第一次改装)
31,720 t(第二次改装)
全長 214.6 m
219.4 m(第二次改装)
全幅 28.0 m
31.0 m(第一次改装)
喫水 10.4 m
機関 蒸気タービン2基、4軸 64,000馬力
蒸気タービン4基、4軸 136,000馬力(第二次改装)
最大速 27.5 ノット
26ノット(第一次改装)
30.3ノット(第二次改装)
航続距離 8,000浬(14ノット巡航時)
10,000浬(14ノット巡航時、第一次改装)
9,800浬(18ノット巡航時、第二次改装)
乗員 2,367名
兵装(新造時) ・45口径35.6cm連装砲 × 4
・50口径15.2cm単装砲 × 16
・53cm魚雷発射管 × 8
兵装(最終時) ・45口径35.6cm連装砲 × 4
・50口径15.2cm単装砲 × 8
・12.7cm連装高角砲 × 6
・25mm3連装機銃 × 18
・25mm連装機銃 × 8
・25mm単装機銃 × 30
装甲 ・水線 203mm
・甲板 70mm
艦載機 なし