F−1(三菱重工業)



 F-1はT-2高等練習機を元に開発され航空自衛隊で使用される支援戦闘機。「エフイチ」や「エフワン」と呼ばれる。 初飛行は1977年(昭和52)。製造は三菱重工業。第二次世界大戦終結後、初めて日本が独自開発した戦闘機である。 後継機であるF-2の配備が進み、2006年3月9日に退役した。

 日本では、それまで支援戦闘機として使用していたF-86Fが航続距離が短かったこと、兵装搭載量が少なく、対地・対艦攻撃能力が あまりに低かったことと、第1世代のために老朽化で近々用途廃止になる機体が出てくることから、後継機を超音速高等練習機と その派生型である攻撃機型で充てる計画を立てた。それに伴い、超音速高等練習機T-2の開発完了直後から次期支援戦闘機開発計画を開始し、 T-2からFS-Xを改造開発することとなった。このため、FS-XはFS-T2改と呼ばれ、改造に供されたT-2はT-2特別仕様機と呼ばれた。 T-2からFS-T2改への改造点として、以下が挙げられる。

 ・複座から単座へ変更
 ・兵装投下コンピュータの搭載
 ・慣性航法装置の搭載
 ・レーダー警戒装置の搭載
 ・電波高度計の搭載

 1972年2月7日の国防会議で次期支援戦闘機FS-T2改を68機調達する事となり開発が決定した。 翌年には1974年度予算に2機分すでの試作が認められたため、 三菱重工業は生産ラインにあったT-2の6号機(59-5106)と7号機(5107)をFS-T2改のプロトタイプとして改造することとした。 T-2特別仕様機と呼ばれたこれらの機体は、1975年6月3日に火器(武器)管制装置など電子機器実験機の#107が初飛行、6月7日に性能試験、 飛行特性試験、フラッター試験機の#106が飛行した。なお、機体システムに支出された予算は4億2000万円、電子装置には7億6300万円で、 機体改造は最小限にとどめ、電子機器の開発に力を入させれたことが分かる。

 機体自体に大きな変更を加えられておらず、基本データはXT-2のときに取得済みだったので、#106の試験は早々と終了し、 2機による電子機器の試験が行われた。翌7月からは飛行実験団(APW)と防衛庁技術研究本部(TRDI)による技術試験が行われたが、 こちらも翌1976年3月に終了。さらに8ヶ月にわたって実用試験が行われた後、11月12日に部隊使用が認可され、FS-T2改は制式名称F-1の名が与えられた。 なお、試験に使用された2機のT-2特別仕様機は、量産化改造されずにAPWに残され、新兵器開発に利用された。 1975年(昭和50)に予算で18機の取得が計上されており、量産1号機(70-8201)は1977年(昭和52)2月25日にロールアウト、 6月16日に初飛行し、9月16日に納入された。その後、10年にわたって量産され、1987年3月9日に最終77号機が納入され、生産が終了した。

 開発当初から織り込まれたASM-1との組み合わせによる強力な対艦攻撃能力と、アドーアエンジンの良好な燃費のもたらす低空侵攻能力という 一芸に秀でることで、日本の国防に寄与した。この方針に効果があったことは後継機であるF-2が、更なる対艦攻撃能力と航続距離を 付与されたことからも見て取れる。後継機の選定における紆余曲折やアップデートがほとんど行われなかったことなど問題は山積していたが、 実戦を経験することなく2005年(平成17年)度末で築城基地所属の第6飛行隊から最後のF-1が退役した。

 なお、本機はジャギュアにシルエットが似ているといわれるが実際のところ関係は全くない。同一のエンジンで近似の速度要求となれば 重心配置や空力的特性は似たようなものとならざるを得ない。むしろF-1の場合は、エアインテークといい、 元になったT-2のキャノピーのデザインといい、F-4 ファントムUの影響のほうが多く見られる。
仕様・諸元
全長 17.85m
全幅 7.88m
全高 4.45m
自重量 6,550kg
発動機 TF40-IHI-801A エンジン×2基
最高速度 M1.6
航続距離 2,870 km
武装 ・JM61バルカン砲 1門
・ASM-1(80式空対艦誘導弾)
・750ポンド(340s)爆弾JM117を5発、500ポンド(225s)爆弾Mk.81/82を胴体下に4射出架を介して4発と、両翼下に2射出架を介して4発ずつの計12発を搭載。
・クラスター爆弾CBU-87/Bは5発搭載
・短距離空対空ミサイル:AIM−9B/E サイドワインダー
ロケット弾ポッド:70ミリ×19のJLAU-3、127ミリ×4のLR-4、70ミリ×7のLR-7のいづれかを翼下に4基搭載