ブルーインパルス(Blue Impulse)
ブルーインパルスは航空自衛隊松島基地第四航空団所属のアクロバット(エアロバティック/曲技飛行)チームである。
正式な部隊名は第11飛行隊。ニックネームは初期のコールサイン、「ブルー・インパルス(訓練時はインパルス・ブルー)」から来ている。
初代コールサインは「チェッカー・ブルー」。
1958年、航空自衛隊の戦闘機教官が独断で行った編隊飛行が上官の目に留まったこと、また1959年に行われた米空軍サンダーバーズの 日本公演を見た当時の航空幕僚長が打ち出した構想をきっかけに1960年、浜松・第1航空団第2飛行隊内に空中機動研究班として発足した。 その後公募したニックネーム「天竜」を用いたが、この「Tenryu」の「r」の発音に管制上支障が出たため現在の「ブルーインパルス」に変更。 第4航空団第21飛行隊戦技研究班になるなど何度かの改編が行われた後、現在の部隊名は宮城県松島基地に所属する第4航空団第11飛行隊となった。 初代の機体はF-86。航空自衛隊創設に当たり、アメリカから供与された当時の主力戦闘機である。 東京オリンピックの開会式で五輪の輪、大阪万博開会式でEXPO70の文字を空に描いたことなどで有名。22年間に545回の公式展示飛行を行った。 二代目の機体はT-2。国産初の超音速高等練習機。 離陸時にアフターバーナーを使用して発煙油に点火する「トーチング」や長い助走を使った 力強い演技が売り。5番機による「単独機最大能力旋回」は、その音と動きが特にダイナミックだった。 T-2時代には三沢基地航空祭でアメリカ空軍の「サンダーバーズ」との競演も果たしている。事故による中断も挟み、 14年間に175回の公式展示飛行を行った 三代目の機体はT-4。「ドルフィン」の愛称で親しまれる国産中等練習機。現在運用している機体で、 長野オリンピックの開会式に会場上空にて展示飛行をした。1997年にはアメリカ遠征も行い、サンダーバーズと2度目の競演も果たしている。 翼面荷重が小さく、エンジン推力比も大きいため「360°ループ」のような高Gの連続課目や「バーティカルキューバンエイト」のような垂直系の 高負荷課目が余裕を持って出来るようになった。発煙装置とその関連装備、風防をはじめとしたバードストライク対策、低高度警報装置などの他、 新たにラダーリミッタの制御プログラムがアクロ専用として変更されている。 |