Lightning(イギリス/イングリッシュ・エレクトリック社)
ライトニング (Lightning) とはイギリスの航空機メーカーであるイングリッシュ・エレクトリック社が開発し、イギリス空軍を中心に運用された戦闘機である。
第二次世界大戦後、経済力が疲弊してしまったイギリスでは軍事費の抑制が図られ、アメリカやソ連がドイツから入手した先進的航空技術を研究し数々の新機軸を 盛り込んだ航空機を開発していたのに対し、イギリスでは予算の制約がある上、ドイツの先進的航空技術を入手し損ねてしまっていた。 そのため、超音速戦闘機の開発はアメリカやソ連に大幅に遅れることとなってしまった。 その様な状況の中、W.E.W.ペッター技師はイングリッシュ・エレクトリック社と提携して仕様ER.103に合致する超音速実験機の開発を進めていた。1948年12月、 製作された実験機の主翼は鋭い後退角60度を持ち、テーパーがなかった。また、胴体後方に設置した水平の尾翼など、後に生産されるライトイングの基礎が すでに構築されていた。これに改良を施せば戦闘機としても開発出来ると、1949年初期にイギリス航空省 (Air Ministry) はこの実験機の概念案を基に戦闘機の 仕様F.23/49に署名し、機関砲の装備とその照準器を備え、水平飛行で最高速度マッハ 1.2、機体は7Gに耐える、という要求が出された。 イギリス航空機協会 (Royal Aircraft Establishment) は、尾翼の位置や特異な主翼の形状に疑問を感じ、検証用の研究機(ショート S.B.5)を発注した。 航空機協会の研究機は主翼と尾翼の位置や主翼の後退角の変更して試験を繰り返していたが、後に、当初から採用されていた鋭い後退角の正当性が確認された。 そのため、航空省に許可された超音速実験機の開発に支障は出ず、完成したイングリッシュ・エレクトリック P.1は1954年8月4日に初飛行を行った。 初飛行においてエンジンを増強すればマッハ2以上を発揮する可能性を見出された。試作機はP.1A、戦闘機型はP.1Bと名称を変更された。 戦闘機型のP.1Bは空気抵抗を減らすためジェットエンジンの搭載方法を上下二段重ねとし、エンジンの空気取り入れ速度を調整するため機首の空気取り入れ口に 円錐のショックコーンを設け、そこにレーダーを搭載した。このP.1Bは1957年4月4日に初飛行を行い、1958年11月にはライトニングと命名され、1959年から 配備が開始された。 イングリッシュ・エレクトリック P.1Bが初飛行を実施した頃、保守党政権のサンティス国防大臣が、国防白書に於いて防空の主力を有人戦闘機からミサイルに 転換するという方針を打ち出したため、開発の進んでいたライトニング以外の戦闘機は全て開発中止となってしまった。このため、イギリスはライトニング以降、 独力で超音速戦闘機を開発することが出来なくなってしまった。 1960年12月14日、イギリス空軍の第56飛行隊がF.1Aの配備を開始し、1964年にライトニングを装備した防空部隊が編成され、防空部隊は侵入する高々度高速爆撃機に 対処するため、たびたびスクランブル発進して要撃に向かった。イギリス本国だけでなく西ドイツやキプロス、シンガポールにも駐留し、防空任務に従事した。 1970年を過ぎると低空を侵入する高速機も表れ始めたが、ライトニングは運動性を生かして防空任務を続けることができた。 ライトニングはメーカーとの協力体制が確立されておらず、ライトニングは備品の調達難に悩まされ、整備自体も委託していたことから初期の稼働率は決して 高くなく、空気抵抗削減のために胴体を絞り込んだことから、機体内の燃料タンクが増設できなかった。また、主翼下面には主脚が格納されるためハードポイントが 設置出来ず、幾度かの改良を経てもライトニングには航続力が短くて兵器搭載量に乏しいという欠点が付きまとった。 そういったことを代価にしてもハンターやジャベリンにはない次世代的な照準器を装備し、マッハ 2.0の速度、レーダー性能など大きく飛躍を遂げた新鋭機として 好評を得た。特に運動性が良好であったライトニングは同世代のF-104 スターファイターやミラージュV等にも引けを取らない優れた戦闘機であり、 局地防衛を重視しているライトニングの強力なエンジン推力は、後に配備されるF-15 イーグルやSu-27 フランカーに劣らない上昇力をもっていた。 ライトニングは優れた戦闘機であったが、海外セールスは同時期の他国の戦闘機と比較するとあまり芳しくなかった。わずかにサウジアラビアとクウェートが 本機を導入したのみであった。西ドイツ空軍に採用を働きかけた事もあったが、ライトニングはイギリス政府の支援を得られなかったことによりF-104 スターファイターに敗れてしまった。 サウジアラビアに導入されたライトニングはイエメンとの紛争に投入され主に対地攻撃に使用された。イギリス空軍に導入された機体は実戦を経験することはなかった。 イングリッシュ・エレクトリック社はエイボン Mk 210ジェットエンジンを搭載して計器盤を一新したF.2を開発して、F.2は1961年7月11日に初飛行を実施して、 現行のライトニングと交代するため、イギリス空軍は1962年12月に受領した。さらに、イングリッシュ・エレクトリック社は新型の攻撃システムを搭載したF.3の 開発を進め、ルックダウン・レーダー、慣性航法機器、ミサイルシステムの一新などをライトニングに盛り込む提案を行ったが、イギリス空軍はホーカー P.1154やBAC TSR-2など新型機の登場を期待しており、政府も予算を理由に採用することはなかった。間を埋めるためにF.3はエンジンの換装といったような F.2の小改良に留めて約70機が生産された。F.3に改良を加えたF.6は主翼上面に増槽を搭載するようになっていた。その後、P.1154やTSR-2もキャンセルされてしまうと イギリスはF104 スターファイターの後継機パナヴィア トーネードの開発に参加することになった。 20年以上もイギリスの防空を担当したライトニングだったが、ベトナム戦争では搭載量に優れたアメリカ軍の新型機が運用されており、ほぼ同時期から対地攻撃に 向かないライトニングで編成する部隊はなくなった。イギリスのスエズ撤退(第二次中東戦争)にあわせてライトニングで編成されていた部隊が解散されたのを 皮切りに、新部隊はSEPECAT ジャギュアの配備を開始した。1974年にライトニングの訓練部隊解散も始まり、第一線用の部隊はライトニングやジャギュアから ブリティッシュ ファントムやトーネード ADVと交代していった。最後まで残っていた第5飛行隊が1987年に解散、第11飛行隊も1988年に解散し、ライトニングは 全機が退役した。 |
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仕様・諸元 |
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全長 | 16.84 m |
全幅 | 10.61 m |
全高 | 5.97 m |
空虚重量 | 12,719 kg |
発動機 | ロールス・ロイス エイボン 301R ターボジェットエンジン × 2 |
最高速度 | M 2.27(高高度) |
航続距離 | ・戦闘行動半径: 1,287 km ・フェリー飛行時航続距離: 2,500 km |
武装 | ・ADEN 30mm機関砲 × 2(砲弾120発) ・ファイアストリーク赤外線誘導対空ミサイル × 2 ・レッドトップ赤外線誘導対空ミサイル × 2 ・着脱式2インチ (51mm) 44連装ロケット弾 ・ADEN 30mm機関砲 × 2(砲弾130発)(ガンパック) ・70mmカメラ 5台(写真偵察パック) |