殲撃七型(瀋陽飛機工廠)



 中華人民共和国で生産されたMiG-21F-13に準じた初期型の戦闘機である。しかしながらその初飛行は遅く1966年であった。 なお、J-7は殲撃七型を略記した殲-7のローマナイズ表記である。なお、中国語で殲撃機とは戦闘機のことを表す。

 中華人民共和国での生産は、当初は瀋陽飛機工廠(現在の瀋陽飛機工業公司、旧満洲飛行機の施設)で行われていたが、1968年8月以降、単座型J-7は基本的に成都飛機工廠(CAC)で 生産されている。なお、文化大革命の影響であらゆる工業製品は一時生産不能に陥ったが、J-7の生産は1970年代半ば頃に再開されたものと見られる。J-7は、1969年の珍宝島事件 (ダマンスキー島事件)に際してはJ-6などとともに戦線へ投入されたが、同地域では数機のJ-7がソ連空軍のMiG-23や9K32「ストリェラー2」地対空ミサイルの攻撃によって失われている。 また、J-7は1979年の中越戦争でも使用された。